確かに、男の子と、女の子とでは思考方法が違う。
それが、絵に出る。要約すると、男の子は、バトル、女の子は、ピース。闘争と平和。これに、尽きるといってもいい。
今の時代、ゲームソフトで、戦いものはあるが、その影響か、需要が先か、判然としないが、いずれにしても、男の子は、バトル好きである。女の子は、やはり平和、平穏を好む。男の子は、前進、女の子は、現状維持、とも取れる。
天の配剤であろう。それぞれに、人類としての役割がある。この役割分担は、当然絵に反映される。子供の絵の特徴は、主張である。それは、大人の描く絵よりも顕著に出る。
先週、<大人コース(初級)レベル>で、絵はメッセージであると、書いた。大人は、自然に他人を意識する。したがって、絵は、自然と他人への、メッセージとなるということ。
しかし、子供の絵は違う。単純に自己主張である。ちょっと、ませた子は、他人を意識することもあるが、それを例外とすると、子供の絵は、他人を意識しない自分の世界を主張している。したがって、意味不明のものもある。自分だけが分かる記号のようなものは、実は、子供の絵の中に存在する。
低学年ほど、年少ほど、記号化された意味不明の絵を描くことがある。5歳の子の描いた絵が、良く分からなかった。「これは何?」と聞くと、説明してくれた。「これは、ネコなんだア、そうかそうか」と相槌を打ったが、実際、暗号に近い。
このように、小さい子供にとって、絵は、文章と同レベルである。文章が、ままならないから、絵にしているだけで、自己の主張、願望をそのままストレートに出してくる。小さい子が、食べ物の絵ばっかり描くので、「お腹空いたの?」と試しに聞いてみたら、図星だったという、笑い話もある。
さて、このストレートな自己主張を、絵の教室としては、どう受け止めればいいか
男の子の絵にしろ、女の子の絵にしろ、特徴はそれぞれ持っている。また、低学年、年少、の子の記号化された絵も、その年代を刻んでいる。これが、自然というものであろう。これをいじくる必要はない。自然に出るものは、自然に任せるのがいい。
それよりも、自己主張していることに、相槌を打ってあげるほうが、大事であろう。「そう、考えているんだね。上手にかけているよ」と声をかけてあげると、子供は満足する。子供は、自分のことのみの理由で描いているが、やはり、理解者はほしいわけである。
ただ、子供といっても、小学四年以上の女の子になると、生意気である。特に五年生。褒めるより、けなした方がいいこともある。ヘタに褒めても信用しない。「はい!やり直し!」の号令をかけるのは、こんな時である。
絵の先生は、時には猛獣使いにも変身する。小学四年以上の自己主張は半端じゃない。
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