子供を何人も見ていると、色々なことに気が付く。
考えることが、苦手な子、モノを見て描くのが、苦手な子、工作が苦手な子、スピードの遅い子、想像するのが苦手な子、水彩が苦手な子、云々。
逆に、想像が得意、見て描くのが得意、スピードが速い、水彩が好き、工作が得意、考えることが得意、云々。
色々な子供の、色々な傾向がある。絵の教室としては、得意なことを伸ばす考え方もあるが、苦手なことを、やらせる考え方も同時にある。食事と同じである。成長期の子供に、毎日好きなものを食べさせたいが、それが、偏食だと、栄養バランスを考えざる負えない。
しかし、これが、結構大変である。
嫌がるものを無理矢理やらすためには、嫌がる程度にもよる。絶対ヤダといい始めたら、その子の性格を見極めないと、泣き出す。単なる、わがままだったら、泣いても、引き下がらない。子供は常に大人のスキを狙う。スキ狙いの魂胆なら、強制する。そういう子は、大抵あきらめて、言うことを聞く。鬼先生のあだ名が付く所以である。
絵の教育は、子供の命に関わらない。嫌なものをやらせなくとも、子は育つ。だから、嫌なものを無理矢理やらすためには、理由が要る。私の場合、この理由は、いたって、単純である。
好きなもの、得意なものは、家でも出来る。家でも出来ることを、ワザワザ月謝を払って、教室でやることはないというのが、私の理由である。親御さんも、それ以外の総合的なことを、期待しているのだと、思っている。
したがって、得意と不得意のどちらに重点を置くかといえば、不得意とするしかない。本人の希望はもちろん聞くが、好きなことばっかりでも、飽きてしまう。好きなことをアメ代わりに、不得意なことをやらせているのが、現状である。
得意なものは、ほっといても、伸びる。自分で積極的にアイデアを出すし、まず、熱心である。むしろ、私が口を出すと、邪魔のようだ。だから、指導するというより、そういう機会を、作ってあげることに、留めている。
男の子の工作好き、女の子のカード絵好きは、生来のもので、これは、これでいい。
何より、好きなものがあることが、大切である。子供が生き生きとしていることが、何よりも、大事ではあるが、子供に受けないことを、やらせる時の、「エーーーー!!!」の大合唱が、実は、先生のお仕事開始の合図でもある。
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