今週は、今日から金曜まで、キッズコースについて、久しぶりに書きます。前回同様、エピソードではなく、美術的教育面からです。ご愛読を。
とにかく、子供はいたずら書きが好きである。
わが、教室でも至る所に落書きされている。机といわず、壁、カレンダー、下敷き用の新聞紙、自分のスケッチブック、隣の子のスケッチブック、消しゴム、鉛筆の表面、鉢植えの葉っぱ、トイレの中、ガラス。
私のノートブックの余白まで落書きする、つわものもいる。
本来、注意すべきことなので、一応注意するが、私も、余りくどくは、怒らない。落書きは、私にも子供の頃の記憶としてある。大分怒られた。
子供はなぜ、落描きするのであろうか?
私が思うに、落書きほど、楽しいものはない。なぜなら、落書きには計画性がない。行き当たりばったりで、その時感じたこと、考えたことを、そのまま書ける。自由気ままで、束縛がなく、なによりリラックスできる。また、友達と楽しさを共有もできる。こんな面白いものを、子供が見逃すはずがない。
わが、教室も、その餌食になっている。鉛筆の削った部分に落書きした子もいる。紙コップの飲み口の縁に、落書きした子もいる。私の眼鏡に落書きしようとした子は、さすがに、怒った。
このように、子供たちは、自由気ままに書く。子供の教室展で、落書き板と称して、大きい紙を板に貼ったら、やたら受けた。何度も貼り替えた。驚くほどの情熱を注ぐ。
さて、ここで、面白いのは、落書きはなぜか、長続きしない。どうしてだろうと思う。子供は、ゲームを始めると、いつまでもやっている。ゲームは、ルールによって束縛されるのに、落書きはなぜか、長続きしない。自由気ままで、束縛がなく、リラックスできるのに、続かない。
なぜだろう?
自由気ままで、束縛がなく、リラックスするものは、ちょとがいいということに、なりはしないか。教室の子供も落書きに飽きると、また、絵なり工作なりの続きを始める。また、束縛に戻るのである。
子供は、自由と不自由の繰り返しが必要なことを、本能的に知っているのではないだろうか。
そんな気がする。だとすると、子供にとって、落書きは、不自由と行き来するための、必要不可欠な要素なのでは、と考えられる。
確かに、子供に、そこらじゅうに、落書きされたら、堪らない。それは、注意しないと、いけない。しかし、絵の領分から見ても、落書きには、発想練習、イメージトレーニング、感覚訓練ぐらいの効果はある。結構、栄養たっぷりなのである。
少なくとも、絵の観点から考えると、子供の落書きは、怒る理由はない。
スポンサーサイト
|