唄い慣れる、唄いこむ、という言葉がある。私の十八番は「酒と泪と男と女」。約二十年、唄っている。唄い慣れている。テンポといい、音程といい、丁度いい。
慣れというのは、実に心地いい。安心して唄えるため、聞いて下さいという気持ちになる。聞いている方も、「おっ!唄い慣れてるな」と思っているようだ。そのせいか、一緒に行った仲間は、安心して、セッセと次の歌を探すのに、余念がない。私の歌は、いい場つなぎになる。
人に感動を伝えるのは難しい。私自身、唄っている最中、感動してるので、あろうか?
「酒と泪と男と女」は、切ない歌なので、一度、泪を堪えた感じで唄ってみようか。どっかで、ちょと詰まったりして。そうすれば、「どうしたんだ?」と、皆、聞いてくれるかもしれない。
はたして、慣れるということは、いいことなのか?
おそらく、本人にとってのみ、いいことなんだろうと、思う。慣れていると、確かに感動は薄れる。唄いながら、余計なことを考える。「受けてるかな?」
以前、年寄りが言っていた。結婚式の司会は、素人がいいと。それも、ガチガチに緊張している方が、いいと、言っていた。確かに、プロみたいな、人が司会をすると、ソツがない。スムースに進行するし、いつのまにか、終わっている。しかし、印象に残らない。
それは、言えると思う。結婚式は、結構な数、経験する。印象に残るか、残らないかは、微妙である。
そういえば、ある、結婚式の司会が、ものすごく、緊張していたことがあった。可哀相なぐらい声が震えていた。ガチガチの司会であったが、未だに、よく覚えている。誰の結婚式かも覚えている。とても誠実な司会だったなと、今にして思う。
そんな、もんであろう。真実は、人に伝わる。不真実は、伝わらない。残念ながら、カラオケ十八番は、本人のためであって、人のためではないようだ。メッセージには、一番関係ないのが、カラオケ十八番かもしれない。
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