さて、絵がメッセージであることは、分かった。では、どうするか?
絵は、感覚的なものであると、何度も言っている。簡単に言えば、感覚を描くのが、一番正しいやり方である。
絵では、リアリテイを重視する。正確にいえば、芸術全般リアリテイ重視である。誰にでも通用する、通行証のようなもので、「一つの真実は、万人の真実に通ず」、という確証に基づいている。つまり、リアリテイは、よりメッセージとして伝わりやすい。
人一人が生み出す感覚は、この、リアリテイに基づいている。このため、一つの絵は、この感覚によって、塗り固められることを、理想とする。
一筆一筆が、感覚であることを理想としている。感じながら描く。この、姿勢は大事である。絵たる所以であるし、感覚世界の、所以でもある。
ただ、全部を感覚で、塗り固められない事情もある。
絵は、作らないと出来ない。感覚を理想とはしてるが、100パーセントではない。だから、この作る段階では、感覚的な制作とはいかない。
絵の制作段階には、始めと中半と後半、そして、仕上げがある(この制作段階については、後日、述べる)。その、ほとんどを感覚で描きたいのだが、なかなか、そうもいかない、絵を整理する、または、作る段階がどうしても発生する。
つまり、絵は感覚的な作業と、考える作業で、できている。これを、もっと、砕くと、考える作業があるなら、もうひとつは、考えない作業となるので、絵は、考えない作業と考える作業とで、できているということになる。
感覚的な作業とは、考えない作業のことであり、この、「感覚を画面にのせる」、ということは、考えないで、絵を描くということである。
さて、実際の制作の場では、どうだろうか。人間は考え好きなので、ちょっと油断すると、すぐ考えてしまう。
制作中、行き詰って、さあ、どうするかと、考えてしまうこともある。それは、ある。ただ、これは、<考えない作業>と<考えない作業>の合間の話で、私が言っているのは、<考えない作業>の最中、描いている最中に、考えてはいけないと言っている。
感覚世界は、感じることである。感じたものにこそ、価値がある。そのためには、できるだけ、考えない。考えないで、感じたまま、手を動かす。これが、正解である。
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