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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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絵とはメッセージである <研究所レベル> 

    絵はなんのために、あるか。


 そんなこと、制作中には考えない。ただ、イメージ通りか、そうでないか、しか考えないのが、制作サイドである。


     しかし、制作そのものは、人のために描いている。意識するか、しないかは、本人の勝手であるが、絵の及ぼす効果、または、効果的な配置、計算、は何のためにあるかは、本人のためではないのは、考えるまでもない。自分のためなら、自分だけが分かる記号で済む。


     人を完全に無視した絵を、描いたなら、是非、私に見せてほしい。それも面白そうだが、まず、難しいだろう。


        絵を描くということは、メッセージを伝えることである。そこに、絵としての存在価値がある。したがって、何を、どう、伝えるかが、問題となる。


        ある人は、自分のイメージを、ある人は、感動を、また、ある人は、印象を。人によって様々であろう。つまるところ、自分の持っているものを、そのまま、誰か、不特定多数の誰かに、伝えようとする行為を、絵を描くと、定義できる。


        このことを、肝に銘じてほしい。


 絵を描いていて、「こんなもんでいいや」と思ったとする。さて、誰に対して、こんなもんでいいのか、を問う。多分、自分のためであろう。


     制作は、個人作業なので、そこのところが、実に、曖昧である。時に、人のため、時に自分のため。曖昧模糊とは、このことである。


        自分の描いた絵を、第三者的に見る目を、養ってほしい。大変難しいが、そこに、人のために、描くという行為がある。


        人は、他人の絵には厳しく、自分の絵には甘い。「こんなもんで、いいや」とは、そういった発想である。これでは、絵にはならない。メッセージにならない。他人が見るように、自分を見る。何度もいうが、難しい。しかし、制作サイドは、この困難に挑戦しなければならない。


        プロフェッショナルとは、自分を客観的に見ることが出来る、人間のことである。


  これで、人に何かが伝わるか、こんなもんで、伝わるか、と悩むことが、正しいジレンマだと、知るべし。

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