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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2014・4・28(火) |
「教室日記」 (ドローイングあれこれ)
明日から、教室は5月連休休講に入る。 5月7日の金曜まで。 桜が咲いたかと思えば、もう連休。 あと、一ケ月すると大人教室の会員展がある。 ホントに月日はドンドン過ぎて行く。 あららー。
さて、それにしても、わが西船教室イラスト担当の大野まみ講師のドローイングは素晴らしい。 天才的で、驚くほど柔軟なドローイングを描く。 ドローイングのいいところを、余すところなく披露する。 実際、彼女のドローイングには、私も舌を巻く。 ドローイングとは何なのか、ご存知ない方に、一応、説明しよう。
ドローイングは、油絵のように塗り込んでいくペインテイングとは、対極にある。 早く描くことが多く、ほとんど、考えるより早く描く。 そうすることにより、より感覚的で、偶然性のある画面を作ることができる。 お叱りを覚悟で言えば、書道がこれに近い。 楷書ではなく草書のほう。
一般的には、鉛筆でサッと描いたスケッチ状のものをドローイングと言うが、近年、現代美術系では、ドローイングを作品として扱う傾向が普及し、定着した。
大野まみ講師にドローイングを教えたのは、この私。 今では、ドローイングイラストの名手として、業界でもその名は高いが、20年前の1995年に、当時の杉並教室に入会してきた。 その頃は、結婚前で、旧姓で名乗っていた。
私が最初に言ったことは、ドローイングしている時は、頭の中をカラにすること。 ドローイングは考えて描いたら意味がない。 自然さと、偶然に出てくるものが命。 ペインテイングは、考えながら描く。 考えながらワザを出すのがペインテイング。 頭をカラにしながら、ワザを出すのがドローイングと言える。
頭をカラにしたら、ワザは出ないと思うだろうが、これが案外そうでもない。 人の描き方には、クセがあり、また、無意識に引いた線でも本人の描写能力は発揮されるので、頭がカラでもクセは出るし、ワザも出る。 無意識なので、筆を動かす間に、偶然出てくる効果は、非常に面白いものがある。
ところが、まみ講師は、ホントに頭をカラにできるので驚いた。
「ドローイングしている時は、何も考えていませ~ん!」
と、平然と言う。
私は、完全にはカラにできない。 少しは考えてしまう。 それが普通だと思うので、カラにするよう努力するという意味で、アドバイスしたつもりだった。
完全にカラにできることは、私には理解できない。 そのため、色々考えてみた。
「なぜ、彼女は頭の中をカラにできるのか?」
考えた結果、どうやら、まみ講師の頭の中には、スイートスポットとも言うべき空白部分があるようだ。 頭の中にポッカリと穴が開いたように空白があり、そこに飛び込むと、ホントに何も考えない。 そのため、その空白部分で描いたドローイングは、非常に純度の高いドローイングになる。
世の中には、色んな人がいるもんだ。
師匠である私にもこのマネはできない。 私の頭の中には、空白部分がほとんどなく、ぎっしり詰まっている。 飛び込んで行く先がなく、とりあえずの場所でドローイングすると、あとは、考えないように努力するしかない。
そのため、高純度のドローイングが手に入らない。 それで、どうしたらいいのか考えた。 方法は二つしかない。
考えるより早く描くか、ちょっと考えてしまったものを工夫するか。
考えるより早く描くと、やたら忙しい。 また、当たり外れが激しいので、精神的に参ってしまう。 結局、ドローイングとペインテイングの両方を使い分けることにした。 方法としては、ドローイングで、精一杯、純度の高い感覚を引き出す。 それからゆっくり時間を掛けて、その感覚を組み合わせていく。 すると、ドローイング描写の言わば、丁半バクチ的な忙しさから開放されるとともに、より濃密な作品制作ができることが分かった。 この方法は、私には都合が良く、気に入った。 以後、私の制作スタイルになった。
そもそも、私のドローイングとの出合いは、18才の時である。 当時は、武蔵野市の実家にいたので、自転車で散歩中に、ふと立ち寄った古本屋で、一冊の本を手に取った。 たまたまである。
しかし、それが当時アメリカで、バリバリの売れっ子イラストレーターだった、トミーアンゲラーとの出会いだった。
その頃の私は、大学1年生で、マンガ研究会に所属していた。 マンガが好きだったわけではなく、何となく面白そうだったので入部したが、マンガの知識はほとんどなかった。 ただ、その頃、興味があったのは、雑誌のカットで、カットの描き方、カットの絵としてのカタチに非常に興味を持ち、拘っていた。 当時の私のお気に入りは、村上豊、風間完の挿絵で、漫画イラストではオオバヒロシが許容範囲。 何で、そんなに拘るのか自分でも分からなかったが、カットのカタチにハッキリとした好き嫌いがあった。 そのため、マンガ研究会の部員と喫茶店で時間を潰す時に、週刊誌を丸一冊添削していた。
表紙の絵から始めて、中に掲載されている挿絵、カットを○と△と×で採点した。
「この絵は、ダメ!」
「この絵は、まあまあ」
「これは、いい」
とか、生意気の限りを尽くしていた。 意見が違う部員とは口論になった。
自分でも何かモヤモヤしたものを感じていたが、それが何なのか分からなかった。 そんな折、トミーアンゲラーと出会った。
衝撃的な出会いだった。
目が釘付けになったことを覚えている。 自分の理想とする描き方が、そこにあった。 以来、急速にトミーアンゲラーに傾倒し、おおよそ10年以上に亘り、トミーアンゲラーを研究した。 私には、神だった。
そのトミーアンゲラーが、ドローイングの名手だった。
今でも、真っ白い紙に、最初に筆を入れる瞬間が好きだ。
「一番最初の線は、一番生き生きとした線だ」
いつも、ドローイングを描く時に、そう、思う。 これが私の持論。 だから、グダグダ塗り込むのは、未だに抵抗感がある。
自分の制作スタイルって、なんだろうと考えている人は多そうだ。 しかし、制作スタイルは、選択するものではない。 自然に出来上がるもの。 だから、一番好きな描き方を思い描けばいい。
そうすれば、自分が見つかる。
我思う、ゆえに我あり。 我好む、そこに我あり。
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