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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2014・2・24(火) |
「教室日記」
もう2月も下旬。 来週は、3月。 私は、4月生まれなので、また一つ年を取ってしまう。 結構、年齢があり余っているので、お分けしてもいい。 とりあえず、10年お分けしよう。
10年を人にあげて、10年前に戻ったとしたら、2005年。 2005年と言えば、イチローは、マリナーズにいて、絶好調。 イチローの試合を見るのが、楽しみだった。
この頃は、1993年から描き続けてきた楕円シリーズを一旦離れ、厚塗りのドローイングを描いていた。 ちょうど描き始めた頃で、その後、2年くらいカラフルなドローイング描写が続いた。 教室は、旧教室の狭い空間で、大人、子供合わせて29人の生徒。 1月に教室に遊びに来て、一緒にお酒を飲んだ、賑やかギャルの21才になったRちゃんは、この時、まだ、小学6年で、木曜キッズ教室にいた。 私の口髭も、まだ黒い。 でも、この時は、今よりちょっと太目。 船橋保健所のメタボ講習で鍛えられる前なので、ダイエット前。
自宅は、旧宅で、船橋市旭町から教室までチャリ通い。 雨が降ると電車。 土曜教室は、今のように午前の大人教室、午後の子供教室、夕方からの大人教室のような忙しい働き方はしていない。 午後1時から2時30分のキッズ教室のみ。 6人のキッズを教えてオシマイ。 夕方からの大人の受講者はいなかった。
差し障りのあることを承知で言えば、天国の日々だった。
さて、もう10年お分けしよう。
1995年。
私の髪の毛の白髪はない。
1995年と言えば、杉並教室を始めたばかり。 生徒は、私の高校の同級生の河合君だけ。 しばらくして、今のイラスト担当の大野まみ講師が入会してきた。 当然20年前なので、皆、若い。 私は、楕円に燃え、河合君は、女性の話に燃え、まみ講師は、酒に燃えていた。
1月17日に阪神淡路大震災があった。 街中を走る高速道路が崩れ落ちている映像がテレビに映つり、ゾっとした。 しばらく、この地震のニュースが続いたが、3月20日に、地下鉄サリン事件が発生し、報道関係は、一気にこの事件とオウム真理教の関係を報じ、連日、ジャーナリストがお昼のワイドショーを賑わした。 このため、しばらく、地震のニュースが吹っ飛んでしまった。
当時、杉並区の阿佐ヶ谷に住んでいたが、阿佐ヶ谷にはオウム真理教の杉並道場があった。 オウム真理教が資金に任せて、参議院選挙にアサハラショウコウを含めた何人もの候補者を送り出し、JR阿佐ヶ谷駅では、ガネーシャ像を模した被り物で、選挙演説をしていた。
ちなみに、わが師匠は、ヒンズー教の商業、学問の神であるガネーシャを木彫として1960年代から制作していたので、
「ガネーシャを汚された」
と、エラクご立腹だった。
この年の秋には、銀座で個展をした。 この頃描いていたのは、楕円シリーズで100号を5点、小作品を7~8点展示した。 こうぞう紙という和紙にアクリルブラックで描いていた。 だから、この頃は、アクリル絵具の黒しか持っていなかった。 それで間に合った。 個展で発表したのは、1993年から1995年までに制作した楕円で、個展をしたことにより、転機をむかえていた。 次は何をやるか迷い始め、このあと、約10年にわたる大スランプに突入した。
さて、こうやって考えると、単に昔話になっていくだけで、何か得るものがあるのだろうか。 ただ、人生を二度繰り返しているだけだ。 その頃に楽しかったことも確かにあったが、嫌なことも当然ある。 それを今の記憶でもう一度体験することもないだろう。 10年のスランプをもう一度経験したいはずがない。
やはり、人生は、「今を生きる」 ことに尽きるのかもしれない。 これから毎年、重くなる年月が待っているが、自分の制作の行く末を楽しみにしていることも確か。 それは、1995年ではなく、2005年でもない。 この2015年の自分ではないと、これから私がやろうとしていることは、実現できない。 2015年の今の経験と勘が必要なのだ。
やっはり、過去に戻るタイムマシーンは、私には必要ない。 年齢の小分けは止めにする。 年齢をたっぷり貯めて、今に生きよう。
「それっきゃ、ないなあー!」
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