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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2014・9・30(火) |
 会員 清水あゆみ デッサン
「作品紹介-9」 さて、作品紹介9人目は、清水あゆみさんのデッサン。 清水さんは、昨年5月の会員展会場で入会手続きをした。 そのため、入会日をすぐに思い出す。 2013年5月26日(日)。 年令は、20代中頃だったが、すでに既婚者で、旦那さんと一緒に来ていた。
初心者で入会したが、今回ご紹介のデッサンは、一年の成果ということになる。 一年でこのレベルの絵を描く人は、珍しい。 作品紹介3人目で紹介した星尾憲治君同様、中の描き込みに執着した。 星尾君は映り込みに、清水さんは、ガラスの歪みに、それぞれ、面白さを見出したようだ。
わが教室のデッサンは、時間を掛ける。 初心者がサッサと描いたデッサンがいいわけがない。 まず、デッサンする頭に切り替わってないと、デッサンは始まらない。 入会したての人にボトルを描いてもらうが、1時間もしないうちに中を描き込んでいる。 カタチは適当。
つまり、スケッチ程度のカタチに、中を描き込み始めていることになる。 こういうデッサンは何枚描いても、カタチに関して進歩はない。
だから、まず、描き直し。 また、同じことをすれば、また、描き直し。 これを繰り返していると、デッサンは適当ではダメなんだと思い始める。 それで、デッサンする頭に切り替わる。
絵画教室では、デッサンの濃淡に重点を置く所が多い。 カタチは二の次。 しかし、初心者が求めているものは、カタチをキチッと捉えたいことだろう。 芸大の油絵科出身の先生の絵画教室だと、カタチはほとんど教えない傾向にあると聞いたことがある。 それよりも、魂のある絵を目指すように指導するらしい。
魂のある絵を目指すことに、もちろん、異論がないが、カタチは、なぜ教えないのか、不思議に思うだろう。 絵画教室の門を叩く人の99%は、技術を求めてやってくる。 デッサンでのカタチに対する認識は、技術にあたる。 カタチを捉える目を養うということ。 これは、完全な技術であるが、それを教えてくれない。
なぜだろうか?
答えは、先生自身にある。 先生が、カタチに対してトラウマになっていることが多い。 美術大学の油絵科を目指すには、デッサンが必須科目。 美大を目指すには、高校生の時から、明けても暮れても、デッサン修練に務めないとならない。
18才にも満たない若者が、デッサンという技術を死に物狂いで学ぶのである。 特に芸大受験では、極める必要がある。
デッサンには、構図という厄介なものの修練がある。 もののカタチと構図を徹底的に頭に詰め込むと、モノが、デッサンの枠で見えるようになる。 何を見ても、ガッチリとした骨組みで見えてしまう。 十代の若者が、デッサンという技術で洗脳されると言ったほうが早い。
すると、どうなるか?
デッサンというしっかりした枠でモノが見えてしまうと、絵を描く時に、すこぶる、具合が悪い。 絵が、硬くなってしまうのである。 十代の時に身に付けた技術なので、それを払拭するのは並大抵のことではない。 受験のためにデッサンに精進したが、やり過ぎると、画家として致命的なことが、後で分かってくる。
そのため、このことが、一生のトラウマとして残る。 カタチ、構図を嫌うようになる。 カタチと構図を絵の要素から外すと、魂が残る。 それで、本人も、また、生徒さんにも魂を目指せ! となってしまう。
では、カタチを勉強してはいけないのか?
そんなことはない。 トラウマ族は、神経過敏になっているだけで、成人した人は、デッサンをやり過ぎたって、問題ないだろう。 十代と二十代以降では、デッサンの浸透度が違う。 若さは、スポンジのようなもの。 水分をいくらでも吸収してしまう。 しかし、二十代過ぎたら、それも硬くなり、吸収率が落ちる。
絵の勉強の仕方は、未だ、最善の方法が、見付っていない。 ある先生は、魂からのアプローチを指導し、ある先生は、デッサンをさせる。 どちらも目指すところは一緒。 魂からのアプローチを指導する先生も、デッサンを否定しているわけではない。 最初に持ってこないだけで、問題のない範囲で、勉強しろと言うだろう。
デッサンという技術がないと、絵を描くのに、極めて不便だからである。
さて、清水さんのデッサンを見てみよう。 清水さんもこのボトルのカタチには、手を焼いている。 すんなり、描けたわけではない。 なにせ、このボトルは10角形。 10角形が、自然に見えないといけないが、どうして、どうして、結構、厄介である。
初めは、ヨコに開いたような妙なカタチになり、何度も描き直している。 見た目と、デッサンした時の違いは、相当、大きな違いがある。 もののカタチは何気なくあるが、デッサンしてみると、その何気なさが難しい。 何気ない曲線、何気ない直線、何気ない長さ。 これらが、自然な割合で、この10角形のボトルを形成している。 デッサンする者は、それらの全てのかかわりを描かなければならない。
一つ、間違えると、長さが合わなくなり、10ケ分ズれてしまう。 清水さんもこれには、マイッタと思う。 辛抱、強くカタチを調整し続けたのは、ガラス面を早く描きたかったのかもしれない。 清水さんのこのボトルは、ご覧のように、ガラスの歪みが全てのような気がするが、そこまでに至るカタチで、シンドい修練の繰り返しがあったことは、知る人が少ない。 本人と、たぶん、私だけ。
そして、難題はまだまだ続いた。 清水さんは、ガラスの歪みを描き続けている最中から、処理に困った問題を抱えていた。 実は、このボトルの裏側に白く印刷された帆船があった。 それが、正面から透けて見える。 これを描いてみたが、上手く行かない。 でも、描きたい、 と、思ったようである。
清水さんは、最後までこのことに執着した。 下の拡大部分がそうである。

帆船が薄っすらと見えるのがお分かりだろうか?
結局、こういう表現になった。 このボトルは、難しいボトルなので、やりたがる人は少ないが、次にやる人は、清水さんのデッサンを参考にするだろう。 すると、この帆船を描く可能性は高い。 面白いことに、こうして伝染していく。
教室には、巻き貝と呼んでいる貝があるが、この貝の表側の模様が、光の加減で、裏側に映る。 ほとんどの生徒さんは、この裏側の映り込みは描かないが、ある時、これを描いた生徒さんがいた。 その描き方が、非常に巧みだった。 以後、この貝を描く人は、その映り込みを描くようになった。
今、清水さんは、この巻き貝のカタチに悪戦苦闘している。 ボトルを3本描くと、次が貝で、その初めが巻き貝である。 ボトルの機械的なカタチと違って、自然のもののカタチは、また、一段と難しくなる。
清水さんは、中の描き込みは、まだしていないが、きっと、この裏側の映り込みは描くだろう。 きっと、描き方に苦労するだろう。 しかし、清水さんは、ガッツがある。 だから、きっと、見事に描き上げるだろう。 私は、そう思っている。
それが、今から楽しみだ。
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