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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2013・11・19(火) |

会員 北山茜 デッサン <教室日記> (作品紹介―17)
最近の気温の下がり方には驚く。 朝夕が、ガーンと下がる。 とうとう、女房殿が、先週ストーブを出した。 ついでに、コタツを出すよう頼んだ。 女房殿はコタツを好まない。 ゴミが出やすいからといつも渋る。 掃除のことを考えている。 私は、コタツが好きだ。 何か、今の時代に日本人しているようでいい感じ。 それに、体の芯から暖まるには、コタツは最適。
11月3日の日曜日にあった裸婦クローキー教室で、この秋初めて暖房を入れた。 教室の玄関小部屋との間仕切りのアコーデイオンカーテンを閉め、天井に設置されている2台の空調を25度の暖房に切り替え部屋を暖めた。 この日は暖かい日だったので、ム~とした暑い空気が漂った。 マイッたなーと思っていたら、モデルさんが暑いから暖房を切ってくれと言った。 助かった。
「今日のモデルさんは、寒がりでないことを祈ってました」
と、私が言うと、皆が笑った。
先週の木曜日夜は、受講者が二人いた。 午後8時頃、教室会員の M さんからメールがあり、「太陽美術展」に入選したとのこと。 今年5人目の入選者である。 うち、二人は受賞している。 メデタイ! M さんは、抽象画での入選は今回で三度目。 旧教室を知る古参の会員である。 途中4年間ほど出産のため休会し、復帰後、以前描いていた水彩画で続行したが、すぐに、抽象画を描きたいと言い出した。
そのため、私が抽象画を一から指導することになった。 教室の生徒さんで抽象画を指導するのは、M さんが初めて。 他に指導したのは、若き日の橋崎講師しかいない。 気合が入った。 テーブルの上にモチーフを並べて、それを崩して描くところから始め、それを、もう一度、今度はモチーフを見ないで、また、崩す。 そうやって、パターン化していく。 初めのうちは、どうしてもデザイン的になるが、作品化する時に、パターンの密度を濃密にしていくと、次第に抽象画に近づく。 そういう作業を繰り返す中で、M さんは、いくつものパターンを作り出していった。 今は、M さん独自の抽象世界を築きつつある。 頑張りを期待したい。
さて、作品紹介をしよう。 作品紹介17人目は、北山茜さんのデッサンである。 作品紹介は今回が最後。 まだ、他にも多々作品はあるのだが、キリがないのと、制作上のエピソードが色々ある人を選抜してご紹介した。
北山さんは、前々回にご紹介した一戸さんより半年くらい後に入会した。 在籍3年とちょっと。 もうそんなになるのかと思う。 早いもんだ。 北山さんと一戸さんは、お互いに、「一戸」、「北山」と呼び合う仲。 一戸さんは青森県出身、北山さんは栃木県出身。 二人で酒を飲み、夜の歩道をカケッコで競争したエピソードに面白い話があるが、差しさわりがあるので、ご紹介できないのが残念。
一戸さんは、東北弁丸出しだが、北山さんは、標準語を話す。 でも、どこかを押すと、きっと、ドッドッドーと、栃木弁が出てきそうな気がする。 いや! 絶対出る。
北山さんは、本人曰く 「ドいなか」 で育ったらしい。 一度、故郷の写真を見せてもらったことがあるが、遠くに山があり、さっぱりとした景色だった。 とても、さっぱり。 北山さんの言う 「ドいなか」 とは、このさっぱり感を指すらしいが、何というか、アメリカ的というか、シベリア風というか、とても さっぱり!
「北山さん! 冗談ですよ!」
さて、北山さんはデッサンで入会し、今でもデッサンをしているが、途中で水彩をやったり、時々中断する。 なぜかは分からないが、もしかしたら、こだわりのせいかもしれない。 北山さんは、結構こだわる。 普通の人がスーと通過するところを、こだわるため、行き詰る。 息苦しくなって、中断するのだろう。 ムラッケがあるのは、世間一般ではあまりいいこととされていないが、こと絵の世界では、よくあること。 むしろ、ムラッケのある人は、優秀な人が多い。 ムラッケは、こだわりから来る。 こだわることは優秀な証拠という理屈がある。
普段の北山さんは、とてもものにこだわるような性格には見えない。 付き合いがよく、誰とでもよく話す。 一体こだわりって何だろうと考えてしまう。
こだわりを持つ人がいたとして、その人は、何にでもこだわるだろうか?
そうではないだろう。 私も自分の制作には相当こだわる。 画面上の直したい所を直さないと、夜眠れなくなる不便な性格をしている。 しかし、居酒屋で出るシメ鯖が酢に漬かり過ぎていても、平気で食べる。 別に問題ない。 そんなもんだと思って食べてしまう。
私の高校の同級生で教室の生徒さんでもある河合君は、絶対に食べない。 彼は、食べ物には非常にこだわる。 刺身が新鮮かどうかには、 「バカヤロウー!」(失礼!) と言いたくなるくらいうるさい。
でも、教室で描いているパステル画では、 「バカヤロー!」(失礼!) と言いたくなるくらい、画面上の違和感を平気で放置する。 私には、これは信じられない。
何にでも徹底してこだわる人は、おそらくいないだろう。 それでは、生きていけない。 あるところにこだわり、あるところにはいたって大らか。 そんなもんだ。
北山さんもどこかにこだわり、どこかが大らかなのだろう。 少なくとも、絵にはこだわりがあるようだ。 いいことである。 そういう意味では、普通の生徒さんとちょっと違う。 一戸さんと同じようなモヤモヤした核があるのかもしれない。
今回、ご紹介の北山さんの石膏の「足」のデッサンは、石膏像を描くための前段階の石膏である。 いわば、入り口。 だから、石膏としての難易度は低いのだが、これもこだわったら、中々描き終わらない。 なぜなら、足の指を自分の方に向けて描くと、足首にかけて透視が効いてしまう。 つまり、足の寸法そのものではいけない。 透視を効かせながら描かなければならないので、手前は大きく、奥に向かって小さく描かなければならない。 そこが慣れていないと難しい。 現に他の生徒さんで何回も修正を繰り返し、悩み壷にはまりつつある方もいる。 北山さんも、これには相当こだわった。 ある時、この「足」のカタチについて私がチェックした時、もういいかと思い、カタチ取りをOKした。
私がカタチをOKする場合、二通りある。 一つは本当に上手くカタチが取れた場合。 もう一つは、カタチが少し違うが、今の本人では修正するのが相当難しいと判断した場合である。 人の情熱には限りがある。 だから、適当なところで、次段階に進ませないと、飽きてくる。 飽きてきたら、万事休す。 緊張感はそこで切れてしまう。 あとは、ダラダラ。
北山さんのデッサンのカタチをOKしたのは、後者の理由による。 しかし、北山さんは納得しなかった。 もっと続けるつもりでいる。 それならそれでいい。 情熱の残量が私の計算より多かったということ。
ご紹介の「足」の石膏デッサンには、こういったいきさつがある。 だから、この石膏を描いた他の人の中で、一番いい出来栄えになった。
こだわること。 それはある意味、上達の秘訣かもしれない。 今、北山さんは石膏像のアグリッパを描いている。 また、こだわり始めている。 ほとんど、アグリッパに似ているのに、アグリッパそのものを描こうとしているようだ。
石膏像は、そっくりに描けないことになっている。 実際にそうだ。 石膏像は、似せるためより人体の骨格の勉強、濃淡の付け方の勉強、描き込みかたの勉強などが主な学びどころである。 だから、そっくりに描こうとするのは、本人の趣味の問題ということになる。 北山さんは、どうもそっくりに描きたいらしい。 それは、それでいいが難しい。
私もカタチチェックしたが、あまりにも微妙で、アドバイスは避けた。 こういう微妙な違いは本人の粘りしかない。 粘って、粘りきって、実体に近づけるしかない。
さて、どんなアグリッパになるか、北山さんのこだわりに期待したい。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
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