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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2013・10・22(火) |

講師 橋崎弘昭 アクリル画 <教室日記> (作品紹介―13)
昨日の月曜日に船橋市高瀬町に搬入に行って来た。 「ふなばし百景」という企画があり、担当者のアートデイレクターが二度教室に訪れている。 「ふなばし百景」の案内は教室に掲示していたが、見る人が少なく、なんとなくそのままにしていたら、締め切り日が近づいた先週、二度目の来訪があった。 中々作品が集まらないそうな。 私は出品するつもりはなかったが、いきがかりで、写真を出すことになった。 題して、「西船から見た東京スカイツリーの夕日」 昨年、3月21日に教室から撮影したもので、生徒さんから言い出したこと。
「夕日が、スカイツリーに串刺しになるところを写真に撮ったら、面白いですね」
一年に二度、夕日がスカイツリーに串刺しになる。 そんな話をしていたので、ある日の夕方、急にそのことを思い出し、写真に収めた。 見事な串刺し写真が撮れた。 ど真ん中。 下の写真がそうである。 私にしてはベストショットだ。

「ふなばし百景」には、教室の生徒さんのMさんも出品した。 達者な水彩画を描く人だ。 船橋大神宮の鳥居を中から道路に向かって描いたもので、作品チェックは私がした。 雰囲気のあるいい絵になっている。 担当のアートデイレクターには、搬入時に挨拶して、2点出品で勘弁してもらった。
さて、作品紹介をしよう。 作品紹介13人目は、橋崎弘昭講師のアクリル画である。 橋崎講師は、私の最初の弟子であり、もうかれこれ20年を超える付き合いである。 年三回の特別教室で、講師を務めているが、最近忙しく、今は、教室行事に顔を見せるぐらいで、ご無沙汰している。 いつもは、橋崎君と呼ぶので、ここでもそう呼ぶことにする。
最初の出会いは、私がデザイン学校の講師をしていた時で、彼の面接は私がした。 そのデザイン学校では、生徒は20代前半が多く、社会人になっている人も何人かいた。 橋崎君も社会人だったが、すでに20代後半になっており、昔から好きだった絵を勉強する最後のチャンスだと言っていた。
さすがに、20代後半は彼だけだったせいか、若い人に交ざらず、私や研究所にいた研究生と話をすることが多かった。 彼は、イラスト志望で入学したが、私や画家仲間、研究所の研究生と交流したため、半年もしないうちにアート志望に転向した。 それが、橋崎君のアートとの出会いになった。
後に、私がそのデザイン学校を辞める時に、彼も一緒に辞め、私の弟子になった。 ただ、まだ、デッサンなど基礎勉強が足りない。 そこで、私の師匠である映周先生と私の妹が開いていた「アトリエオアシス」に橋崎君を預けた。 彼は、毎週映周先生にデッサンの指導を受け、月1回裸婦クロッキーを描いた。 彼は新宿の職場から中央線武蔵境駅(吉祥寺駅の二つ立川寄り)に降り立ち、横浜の自宅に帰る生活を続けた。 3年後、そうやって基礎を終了した。 当時、私は杉並区に住んでいたので、その間、数回武蔵境に様子を見に行ったが、初めの頃は、何をやっているのか分からないとぼやいていた。
映周先生のデッサン指導は、お構いなしで、描いているデッサンに平気で訂正の木炭を入れる。 きれいに描こうと思っているところに訂正の線がガバッと入いる。 受験用のデッサン指導なので、「描き直し」 と、いうこと。
橋崎君もこれには参ったようで、どうして、訂正が入ったのか分からないまま描き続けて、また訂正。 それを繰り返す。 私が行くと泣きが入った。 それが可笑しかった。
さて、基礎を終了したので、今度は私の出番になった。 作品制作である。 制作場所をどこにするか探すことになった。 私も制作し、橋崎君も制作する適当な場所。 ある日橋崎君が、ついでに生徒を募って絵画指導をしたらどうか、と提案した。 当時、私はそんなことは考えていなかったが、JR阿佐ヶ谷駅近くに公民館があり、工芸室は結構広く、確かに橋崎君と私の作業場としては、広過ぎる。 ではということで、生徒を募集することにした。 アート21杉並教室の誕生である。 1994年のことだった。
彼は、今、新象作家協会の準会員である。 会員昇格も、もうそろそろ。 私の友人で新象作家協会の会員でもある太田晴弘氏曰く。
「橋崎君の絵は、色が素晴らしい」 「展示されている橋崎君の絵の前で、30分も立っていたことがある」
と言って、べた褒めする。
橋崎君は、そう言われても、いつも他人事のように聞いている。
「まだまだ、未熟で」
今回ご紹介の絵を、どうのこうの言う気はない。 今年の会員展に参考出品された小品であり、皆さんに彼の絵の傾向をお知らせすることで十分だと思っている。 なぜなら、今回の絵は小品のため、橋崎君の本領が発揮された絵とは言い難い。
20年前、彼を弟子にしたのは、色感が良いと思ったからである。 色感の良い人は、プロの世界でも20人に一人いるかいないかの割合。 かの有名なプロ中のプロと言われたピカソですら、こと色感に関しては、普通だったと私は思う。
色感が良いというのは、色の組み合わせが良いということではない。 そんなものは経験でなんとかなる。 色感が良いということは、新しい色の組み合わせを発明できることを意味している。 色に対する勘が良くないと発明はできない。 だから、それを色感が良いという。 本当は、「色勘」と書くべきかも。
「まだまだ、未熟で」
橋崎君の口癖は続く。
たまには、違うことを言ったら、橋崎君!
「 いやー! 」 「 まだまだ、未熟で 」
橋崎君の口癖は、当分、変わりそうにない。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
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