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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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<教室日記>2013・10・8(火)
菅加奈子・デッサン(縮小済)

会員 菅加奈子 鉛筆デッサン
<教室日記>
(会員作品紹介―11)  

  先週の木曜日の夜、会員の I さんからメールが来た。 第65回中美展に入選したとのこと。 
  今年4回目の入選者である。 うち2名は、受賞している。 おめでたいことである。 過去にも入選者は2名いた。 
  皆、私が細かくアドバイスした方々なので、私としてもうれしい。 何か、入選請負人みたいになってきた。 
  頑張ったね。 I さんおめでとうございます!
  
さて、11人目の作品をご紹介しよう。 
  作品紹介11人目は、菅加奈子さんの鉛筆デッサンである。 石膏像を描いているので、これまでに単品デッサンは終了している。 
  
  わが教室のデッサンは、お試しの1回目でフルーツ、2回目でラベルなしのボトルを描く。 入会後は、ラベルがあるボトルを3本描く。 

  ボトルのレベルは意外と高い。 そのため、カタチについては、相当、うるさく指摘する。 ボトルは、ワインボトル・シャンパンボトル・ウイスキーボトルなど、色々だが、一応商品なので、ボトルの形状にはそれぞれ特徴がある。 
  それは、ボトルデザイナーが考え出した商品イメージであり、そのイメージを写し取るのだから、指摘は細かくなる。 ちょっとしたラインの違いも指摘し直させる。 

  それを繰り返すうちに、次第に微妙な線の変化に目が付いていくようになる。 それで、ボトルを3本描き終えた時点で、明らかに入会時とは違う 「ものを見る目」 が培われている。 

  ボトルの後は、貝がまた三つ。 ここで、曲線ばかりのフォルムを学び、その後、基礎デッサンの最後のモチーフである布と花瓶を描く。 
  硬いものと軟らかいものの描き分けである。 ここで、デッサンの単品描きが終了する。 

  その次が、いわゆるデッサンコースで、デッサンとはこの先の作業を指す。 つまり構図が発生する。 構図がここでやっと登場するわけだ。 
  デッサンは、まず構図なのだが、目が鍛えられてない状態では、構図も意味をなさない。 それで、基礎デッサンがある。

  デッサンコースでは、ボトルや貝、その他のモチーフを複数並べて構図を取る方向と、石膏像を描く方向とに分かれる。 あくまで希望なので本人に決めてもらうが、石膏像は、人体なので難易度は、またもう一つ上がってしまう。 難しいのである。

  それまで順調に進んできた人も、石膏像でいきなりつまずくことは、よくあること。 菅さんもこの石膏像でつまずいた。 それもメジチという石膏像で。

  石膏像にも順番がある。 難易度順。 
まず、足だけの石膏像。 次がアグリッパ、メジチと、二つ首像をやってから胸像が次に来る。 胸像になるとそれだけ大きくなり、カタチも取りづらくなる。 
  アポロ、アマゾンと続き、だいたい、ここら辺で、デッサンは終了する。 デッサンは勉強なので、果てしなくやるものではない。 終わりがある。 

  ただ、教室には、アマゾンの次のジョルジョ、そしてビーナスもあることはある。 これは、デッサン特別コースというところか。 ジョルジョからまた難易度がグーんと上がる。 そして、最後のビーナスで、ジョルジョが簡単に思えるほど、上がってしまう。 
  ジョルジョもビーナスも、やたら、手を出すものではない。 だから、希望に任せている。

  どう難しいかというと、まず、ジョルジョの場合は、戦士なので、立派な体格をしており、肩幅がやたら広い。 それなのに、顔が小さく女の子ようにツルリとした優男(やさおとこ)である。 したがって、構図が取りづらい。 
  しかし、それも何とかなる。 問題は、ジョルジョの横顔。 描いたことのある方は、お分かりだと思うが、ジョルジョらしい顔にしようと思うと、これが、いたって難しい。 何度描き直しても似ない。
  原因は、不思議な顔の骨格と厄介な目。 そのため、ジョルジョは夢に出てくる。 

「ノイローゼになりたかったら、ジョルジョを描け」

  というジョークが、わが教室にはある。 

ノイローゼくらいなら、まだいいかもしれない。 

「絵を辞めたかったら、ビーナスを描け」

  というジョークもある。 ビーナスを描くと、自分が下手に思えて、絵を辞めたくなる。 

  では、なぜそんなにビーナスが難しいのか?
 
一体、何が難しいのか。 ちょっとだけご説明しよう。
  そもそも、デッサンを何年も描いている人が、描けないはずはないと誰でも思うことだろう。 
  実際、デッサンは技術なので、技術を習得して描けないものがあるはずがない。 そう考えるのが当たり前だろう。 私もそう思いたい。

  しかし、さにあらず、世の中には目でちゃんと見ているのに、描けないものが存在する。 それがビーナスだということ。 
  一般的なビーナスは、首像なので、肩はほとんどなく、その上の首と顔、頭部だけの石膏である。 つまり、ほとんどが顔と考えていい。 
  この顔は、つるりとしてメリハリがない。 そして、上品な雰囲気を醸し出している。 

  メリハリが少ない石膏像は、そもそも難しい。 ジョルジョの顔が難しいのは、メリハリが少ないから。 しかし、それでもビーナスよりはあるほう。 ビーナスはほとんどない。 全くないと言ってもいいかもしれない。  だから、描きづらいことおびただしい。 
  それでも、何とかカタチがとれたとしよう。 しかし、似ない。 ビーナスが放つ上品な雰囲気が描けないのである。 
  ビーナスは、目の前にあり、そのカタチ、その雰囲気も肌で感じるほど分かるのに、どうしても、似ない。
  つまり、ビーナスは、技術で描ける範囲を超えている。 

以前、N君という20代の若者がいて、デッサン一筋でやってきて、最後のビーナスが、どうしても描けなかった。 
  次第に休みがちになり、とうとう、半年休んだ。 その後、復帰して、またビーナスを描いたが、途中で止めて、水彩画を描き出した。 しばらくの後、教室を辞めた。 

  彼は、ビーナスに取り憑かれて、他の情熱を全てビーナスの吸い取られてしまったのかもしれない。 水彩画を描いて気分を代えようとしたのだが、時遅し。 馬鹿馬鹿しくて、できなくなっていたのだろう。
  非常にまじめで熱心なあまり、絵的には破滅したのである。 こればかりは、私も止められない。 取り憑かれた時に、すでに遅かったのである。 

  デッサンはまじめに描けば描くほど、人に取り憑いてくる。 菅さんもメジチに 取り憑かれてしまった。  
  菅さんのメジチのデッサンには、右肩に番号が振ってある。 描き直し番号である。 カタチが取れずに、あれよあれよで描き直し番号は 「9」 になっていた。
  石膏像の順番では、メジチは3番目になる。 足を描いて、アグリッパでメジチの順。 ところが、運悪く、足を描く時に、他の人が使用中。 アグリッパも使用中で、いきなり、メジチから始めた。

  順番というものは、この場合、難易度順なので、一つ一つ目を馴らしていくための順位を意味している。 菅さんは運悪く三段跳びになった。 
  足から始めて、メジチが終わるまで普通で一年くらい掛かる。 それで、菅さんはメジチを一年やる羽目になった。 メジチに対応できるまで、一年掛かるということ。 
  それについては、私も責任を感じるが、運が悪いとこういうことが起こりうる。 

始めは、とにかくカタチが取れなかった。 メジチは、首を捻っているので、顔が傾いている。 慣れていない人が、傾いた顔は描くのは大変である。 
  それまで描いたのは瓶や貝であり、傾いた貝はあったが、目や鼻は付いてない。 
その上、骨格という厄介な問題がある。 まず、カタチを取るのに、そうとう時間が掛かった。 
  それも、やっとなんとかなったと思ったら、今度は濃淡である。 濃淡をつけるというまたもう一つの問題が出てきた。 

  石膏像が厄介なのは、人体だからである。 人体には骨格がある。 つまり、カタチにせよ、濃淡にせよ、骨格を意識して、カタチを取り、濃淡を付けないとならない。 そこが、石膏像の難しいところ。
  菅さんは、この濃淡作業で苦しんだ。 ご紹介している菅さんのデッサンをご覧になればお分かりだと思うが、髪の毛、顔、首、その下の台座、全ての濃淡を調整しないとならない。 

  しかし、厄介なことに、描いている本人は、迷宮をさまよってしまう。 濃淡調整しながら、正確な確認ができない。 これは、絵の作業では誰にも起こりえることで、分からなくなってしまうのである。
  同じ所を徘徊するようで、取り留めない。 消しては描き直し、直しては消す。 私のアドバイスも、同じことの繰り返しに聞こえる。

  これは、菅さんにとって相当しんどかったと思う。 特に終盤は、会員展が近づく中での作業なので、あせりと、イラつきが態度に出ていた。 普段の菅さんらしからぬ言動もあった。 
  一年掛かって会員展出品に間に合わなかったら、やってられない。 そう思ったのだろう。 

  ご紹介している菅さんのメジチは、こうした背景で仕上がった。 彼女もまた、他の会員と同じく苦労したのである。 
  今、彼女はまた水彩画に戻った。 水彩画を2年描いてからデッサンを始めたので、水彩画に戻ったことになる。 水彩画は、結構、いい感じに描く。 上手い。 
  しかし、もうデッサンは描かないだろう。  

ある時、菅さんが言った。

「二度とメジチは描きたくない」 

  ごもっとも。 お疲れ様でした。

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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術