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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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アート講義(番外編・総合) ‘11/08/30(火) |
<描写技術と制作技術の違い>
さて、5回目のアート講義をしてみようと思う。 絵の話は切りがないが、たまたま頭に浮かんだので、書き留めることにする。
今回は、「描写技術と制作技術の違い」について、話すことにしよう。
描写技術と制作技術については、研究所レベルでも何度か取り上げた。 わが、教室の研究所で指導するのも、描写技術ではなく制作技術である。
初めて聞いた方のために、簡単に説明すると、果物を果物らしく描けるのが描写技術、その果物を色々組み合わせて、果物画として、仕上げまで持っていく段取りが制作技術。 描写技術は感覚中心、制作技術は思考および経験中心と分けることができる。
描写技術も制作技術も、ここでの便宜上の呼び方であるが、そもそも、市販の絵の指導書で、考えることも技術だと書いている本は、皆無だと思う。 しかし、明らかに一つの技術だとの認識から、私は制作技術と呼んでいる。 制作技術の捉え方が、意外と難しいので、今回は、制作技術をできるだけ噛み砕いて説明したいと思う。
例を挙げよう。 ある人が果物画を描こうと思い立って、描き始め、描き上げるまでに感覚と思考が、どのように絡むのか。 ハイブリットカーが、ガソリンと電気を交互に使いながら走るのに大変良く似ている。 制作の部分部分をズームアップして、感覚として感じている状態と、思考として考えている状態とを分けてみよう。 仮にAさんが、リンゴを手に取って、これを水彩で描いてみようと考えたところから始める。
<リンゴだけを描いても、しょうがない。 他のものを組み合わせよう。 リンゴ三つにバナナの房を、足の付いたフルーツ皿に乗せよう。 下にランチョマットを敷き、リンゴを一つだけこぼれたように、フルーツ皿の脇に置く。 これでいこう>・・・・・(思考) <下に置いた一つだけのリンゴを、フルーツ皿の脇ではなく、手前に置いてみる。 どうも、置く位置が難しい>・・・・・・・・・(思考)
<始めに、全体的に薄く水彩絵具を塗る>・・・・・・・・・・(感覚)
<リンゴは、最終的にどのくらいの濃さにしようかな?>・・・(思考)
<一通り描いたが、背景はどうするか? 白のまま残すか? 色を塗るか?>・・・・・・(思考)
<背景は、白のまま残すことにしたが、そうすると、ランチョマットはアクセントとして、もう少し派手な方が良いかな?>・・・・・・・(思考)
<だいたい、仕上がったので、全体的な色合い・濃淡をチェックしてみる>・・・(感覚)
<何か、足りないな>・・・・・・・・・(感覚)
<何が、足りないんだ?>・・・・・・・(思考)
<カタチだ! カタチが足りない>・・・(思考)
<似たようなカタチなので、ちょっと違ったカタチを付け加えよう。 何が良いかな? そうだ。 フルーツナイフをランチョマットの上に乗せよう>・・・・・・(思考)
<ランチョマットは描いてしまったので、あとからフルーツナイフは、描けないよな? さて、どうしよう?>・・・・・(思考)
<しょうがない、ランチョマットからはずして描こう>・・・・(思考)
<よし!描けた。 全体的にもこれで良し>・・・・・・・・・(感覚)
と、いうことでようやく、水彩の果物画が仕上がった。 上の例でお分かりのとおり、感じることと考えることが、頻繁に繰り返されている。 上の例だと、回数で言えば感覚と思考は、4対10。 全体の回数を全部数えても、おそらく考えている回数のほうが圧倒的に多いはずである。 つまり、制作は考えながら描くと言っていい。 そのくらい考える回数が多い。 これだけ考えているのなら、絵の描き始めから体系立てることもできそうだ。 と、考えるわけである。 結果、制作技術と言う話になる。
制作技術の考え方は、制作は基本的には、制作技術という大枠の中にあると、考える。 制作の始まりを、着想とすると制作技術もそこから始まる。 絵が仕上がれば、制作技術もそこで終了する。 つまり、冒頭で述べたように、制作技術は制作の骨組みとなる段取り技術のことなので、 描写技術は、制作技術の中に組み込まれた技術と捉えている。
リンゴ1個が上手く描けても作品にはならないことは、お分かりだろう。 リンゴを上手く描くのが描写技術であるが、それだけでは作品にはならない。 他のものと組合わせて初めて作品としてのボリュームが出る。 その組合わせ方、出し方もやはり技術と考えるのが、制作技術の考え方である。
が、しかし、技術と捉えなくても、絵は完成する。 普通の人は、制作技術という概念がないので、事実上、「描く」・「考える」を無意識のうちに繰り返し、絵を仕上げることだろう。 それは、それで良いのだが、私が言いたいのは、制作にも理屈があるということ。 感覚には理屈がない。 したがって、分析不可。 しかし、「考える」ことには、理屈が付けられる。 理屈があるなら分析もできるし、分析すれば、今後の方針や、失敗の対処もしやすい。 制作の未知数を理屈で、できるだけ整理できるなら、そうしたいし、そうすべきだろう。 行き詰るたびに、頭を抱えても、無闇に混乱するだけである。 制作は、どっちにしろ迷い事から逃げられない。
制作は、闇の中を歩くに等しい。 それで、闇を歩く技術がほしくなる。 それが、制作技術。 つまり制作するための技術という考え方である。
田屋のアート講義は、‘09/4/23(木)を以って終了しました。
「研究所レベル」・「大人コース(中・上級)レベル」・「大人コース(初級)レベル」・「キッズコース」・「高齢者のための絵画指導」の五講義(各60テーマ)は、左欄のカテゴリーで、閲覧出来ます。
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