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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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訳の分からない発想 <研究所レベル> ‘08/12/10(水) |
これは、発想訓練のことだと思ってもらっても構わない。 発想力の定期健診みたいに考えると、分かりやすいか。
人の発想力には、大小がある。また、コンデイションによっても異なる。
発想と言うものは、生き物である。その時の状態・状況に支配されやすい。決して調子が良いわけではないが、良いアイデアが浮かぶことがある。またはその逆。
どういう状況だと良いアイデアが浮かびやすいかは、個々人で違いが出るが、大物狙いだと、ほとんど要領はないといって良い。
ところが、普段の生活の中では、発想も小じんまりしやすい。大きな発想は、日常生活では、不要なので、自然に小さな発想で間に合ってしまう。 これを、繰り返していると、いざという時に、大物狙いを試みても、そう簡単にはいかない。
頭の中が、大物用になっていないのである。大物用では、すでに、なくなっていると言う方が正しいか。 このため、普段より頭の中の、定期健診を試みる必要がある。
やり方は、簡単である。縮まった体を伸ばすように、いわば屈伸運動をするのである。 発想の出口が小さくなっていると、大きなものは出られない。だから、出口を柔軟にして、大きなものも出やすくしてあげるというイメージである。
ありえないこと、無茶こと、冗談みたいなこと、何でも良い。 柔軟体操なので、非日常的なこと、もしくは、非現実的なことを思い描くことが効果的である。
例えば、渋谷の駅前のスクランブル交差点で、歩行者青信号で人が行き来している情景だとしよう。 上から見ると、横断歩道を十字に人が行き交うことになる。
当然、前から来る人、横から来る人を避けながら、前進するのであるが、もし、人の中をすり抜けることが出来るとしたら、どうなるか。 横断歩道の真ん中で、集中しそのまま分散することになる。真直ぐ進んで混ざり、また真直ぐ進む。
SF映画みたいな話である。
また、例えば、キャンバスに油絵を塗りたくる。そのまま立て掛けた壁に続きを描き、そのままドアの外へと続く。廊下に描き、天井に描き、家中を描きまくる。 最後にキャンバスをどかすと、そこだけ白く残る。それが作品とか。
勉強机のテーブルに、無数の鉛筆や消しゴムが刺さっているとか、自転車のタイヤが前輪後輪とも棒状であるとか、空一面に花が咲いているとか、・・・・
バカバカしいことで良い。普通でないことを考える。
頭の、屈伸運動、柔軟体操とはそんなものである。そうやって、頭の中を柔軟にしておけば、いつかとてつもないことが、浮かぶかもしれない。してなければ、絶対と言えるほど、浮かぶものではない。 絵の世界に日常的な常識はいらない。発想そのものの正体が分からない以上、どんな手も有効である。
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