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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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絶句のあと <エピソード> 08/9/27(土) |
生徒さんの絵を見て、絶句することがある。そういうことは、珍しいことではない。
絵画教室の先生で、厳しい先生がいると言う話を聞いたことがある。 例えば、生徒さんが持ってきたモチーフをけなしたり、するそうな。こういった厳しい指導は、絵画教室では、私は愚かな行為としか思えない。
職人の世界では、厳しく指導する。怒ったり、怒鳴ったりして、弟子を鍛える。これはどういうことかといえば、職人は、金を取ることを前提にした職業である。お金を取れるようになるためには、相当の覚悟がいる。それで、厳しい。
物事の理屈は、単純である。
アートの世界は、少なくともお金の保証は、出来ない。自ら修行して絵を良くしていく道なので、何年掛かるか分からないし、何年掛かっても一向に構わないのが、アートの道でもある。
したがって、厳しくする必要がない。
ここが違うのである。だから、厳しい先生は、先生本人の趣味の話で、アートとは関係ないことになる。厳しくするのが、好きなのだろう。
わが、教室に研究所というものがある。厳しい指導だと謳っている。 研究所はプロ志望コースなので、ここで言っている厳しさは、アートを学ぶための厳しさではない。プロになるための厳しさである。それは、必要である。どういう自覚を持っているかは、考えなければならない。
だが、絵のことは、ゆっくり熟成を待つ。そういう意味で、絵の熟成とプロ意識は分けないとならない。 プロ意識のほうが、熟成より問題が、簡単であると言える。わざわざ、厳しくしなくとも、厳しいことは、本人が自然に自覚する。それで良い。
ただ、こういった自由な考え方が、生徒の皆に伝わらないこともある。 ここで、話が最初に戻るが、 生徒さんの絵を見て、絶句することがある。 自由な制作は、自由な絵を生む。それが、見るに絶えないこともある。先生の資格を試される時でもある。
先生の資格がどんなものかは、分からないが、色々な生徒さんがおり、色々なレベルがある以上、これ以上のレベルと線を引くことは、出来ない。 先生の資格があるとすれば、いかに、勇気づけられるかであろう。希望をあたえること、元気にしてあげること、が出来ないといけない。
余りにもひどい作品を見せられた時の、絶句のあとに、
「うーん、頑張りましたね。これでいいですよ。この調子この調子」
と、言えるかどうかである。けなすのは、簡単である。生徒さんが頑張ったところを褒めてあげられるかどうかは、先生としては、重要な態度である。
絶句のあとも、絶句では、先生業は務まらない。
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