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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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わが道を行く <大人コース 中・上級レベル> ‘08/9/19(金)
   絵を描いていて、一番大事なことは何かと言ったら、主体性の有無であろう。

絵は、何をどう描きたいか、が最初に来る。
   それから、全てが始まる。そう考えて良い。だが、普通そのように考えない。謙虚なのか主張がないのかは、分からないが、中・上級レベルとなれば、当然、自分の描きたいイメージは、ある程度あると思う。

   日本人の体質として、ハッキリしないことは、主張しないと言う考え方もあるが、絵は、主張そのものである。何かを描きたいと言うことは、本人が気が付かないだけで、それは、主張そのものである。
   
   さて、絵は、人に見せるために描く。なぜそのようになるかは、いままで、さんざん言ってきたが、「絵は、メッセージである」という前提に他ならない。

   自分のために描くが、描いたものは、人に見せるためにある。以前にも描いたが、純粋に自分のためだけだったら、単なる自分だけが分かる記号で事足りる。
   絵画教室に来た時点で、人のために描くことが、義務付けられていることに気が付いてほしい。

   中・上級レベルなので、そのことは、十分お分かりだろう。

つまり、何かを描きたいと主張したものは、誰か、つまり見る側に対する主張にそのままなる。
   それが、理屈である。

自分は、「まだまだ」という考え方も分かるが、「まだまだ」と言ったら、これも切りがない。
   ここで、私が中・上級レベルの人に言いたいのは、やはり、10年以上の年数を経た者は、自分の考え方、描き方を主張せよということである。

   どこかの時点で、自分を発生させないと、発生させる時は、以後やって来ないだろう。
   それは、いつになっても、おんぶに抱っこ、という話になってしまうからである。
これは、絵そのもののあり方に、矛盾する。「まず、始めに自分がありき」が、絵の基本的な考えである。

   1年やそこらで、分かったと勘違いするのも、困る。しかし、10年以上やってきて、自分がないのも困る。

   人の中の何かの主張が絵になる。それが、人に伝わる。これが基本である。
これが、描き手と見手の関係である。それは、絵を初めて描き始めた時から始まる。
   最初は、未熟なので、描くことで精一杯。そのうち、余裕が出来て、欲をかく。もっと上手くなりたい。

   当然、このあたりから、意識するかしないかに関わらず、人に見せるための作業となる。人に見せるための作業になれば、当然見せるための効果は、考える。
   効果は、何のための効果か?

人に見せた時に自分の狙いが、正確に伝わるようにという、伝達効果のことである。

   よく、とても人には見せられるような絵ではないと言う人がいるが、これは、人に見せることを前提にしてないと、こういう考え方は、出てこない。

   もう、十分お分かりだろう。どう解釈しても、中・上級レベルの人が、人と関係なく制作することは、ありえない。
   そして、人と自分の絵を通して関係する時、自分の主張なくしては、この関係は成り立たない。

   わが道を行く。それでいい。

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