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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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もののニュアンス <大人コース(初級)レベル> ‘08/8/7(木) |
ものには、ニュアンスがある。それを描くのが絵だと言って過言ではない。
ものには、ニュアンスがある。そう思ったことが、あるだろうか?
例えば、リンゴ一個にしても、ニュアンスはある。他に野菜、庭の鉢植え、花、車、人、風景・・・みなニュアンスを放っている。 ニュアンスとは、感じるものと考えると分かりやすいかもしれない。
大雑把に言うと、自分の見えるもの全てにニュアンスがあると言っても良い。それほど、世の中は、感じるものに満ちている。
分かりやすい所で、人間の動作・顔の表情を例にとると分かりやすい。
良く背中で、泣いているという言い方がある。フーテンの寅さんの十八番(オハコ)であるが、これを、言葉で説明すると難しい。嗚咽した時の肩の揺れがあるわけではなし、ただ背中を向けているだけで、どうして、泣いているのが分かるのかである。
また、「その顔に、チラッと、寂しげな陰が走った」と文章にあったとしたら、そのまま何となく読者は、受け取ってしまうが、考えてみれば、具体性がない。
背中で泣くのも、寂しげな陰も、ニュアンスとして捉えれば,それもあり、ということは人間社会での、了解事項である。
ニュアンスとは、「そんな気がする」ということであり、中途半端な感覚のことである。 「言い切れないが、そんな気がする。違うかもしれないが、どうだかな」と、言われたら、実際訳分からない。しかし、感覚的にこういった表現は、認められている。
それが、感じるということだからである。感じたことに理由があると良いが、大抵は、ハッキリした理由付けが出来ないことが多い。
この感じることを推し進めると、アートに行き着く。
絵は、昔からニュアンスの代表的なものである。 ものから感じたニュアンスをそのまま平面に写し取ろうとする行為が、絵を描くという行為である。
世の中は、感じるものに満ち溢れている。それを、平面に写し取る。鑑賞者は、その平面からまた、ニュアンスを汲み取る。
こうやって、自分の目の前に見える世界と、平面と鑑賞者との関係が成り立っている。その関係の中で、ニュアンスだけが、移動していくのである。
だから、ものの始まりがニュアンスなら、ものの終わりもニュアンスである。
絵は、ハッキリしたものというより、「そんな気がする」という、中途半端な感覚で出来ているものである。 その方が、なぜか、心に留まる。
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