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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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わが師、映周先生<エピソード> ‘09/4/18(土) |
映周先生は、御歳80才過ぎである。
でも、昔から老人であったわけではない。若い時があった。 私は付き合いが長いので、若い時の先生のイメージの方が強い。
一言で言って、面白い人である。私は、十代の頃から、先生と会話するのが、好きであった。今でも好きである。 小学生以前は、そうではなかった。悪タレは、恥ずかしくなるくらい吐いたらしい。
それが、高校生くらいから変わり始めて、18才になった頃には、どこへも一緒に行った。一緒にいるのが、楽しかった。 考えてみると、普通の男子の逆をやっていたように思う。
20才の時に、それまで描いてきた絵をほとんど全部、スケッチブックごと焼却炉で焼いてしまった。 新しく出直すつもりであった。その時に、先生にエラク怒られた。 「今、描いている絵は、同じものを、二度と描けない」「だから、二度としてはいけない」 そう言われたが、本人は、古い絵はほとんど持ってない。やはり、捨てているのである。
私は、その後、現在までに三度捨てている。20代後半と、30代後半そして、40代中盤。40代の時は、引越しのための整理が主な理由であるので、不要なものを捨てたのに留まった。合計四度の整理をしたので、特に30代以前の絵は、ほとんどない。
今、私の手元にある30代以前の絵は、高校生の時のスケッチブック1冊と、30代後半の時に愛着から捨てられなかった、スケッチブックに挟んだ10点ぐらいの作品だけである。
映周先生と同じく、今の私は教室の生徒さんに、「作品を捨ててはいけない」と言っている。
さて、先生は、酒もタバコも飲まない。 嫌いなわけではない。意志の力で飲まないのである。酒は、若い頃、一升瓶を何十分で飲み干せるか、賭けをしたというほど、強い。 タバコは、若い時からのモク中と言えるほどの、愛飲家である。
タバコは、先生が30代の時に、木彫をやり始めてから止めた。ストレスから、しょっちゅう、吸いたくなるので、仕事にならないというのが、理由である。 酒は、タバコほどの愛飲家ではないので、無駄なことはしない、という理由だと思う。
いずれにしろ、恐ろしくストイックな男である。
だから、私が未だに、酒もタバコも飲むのが信じられないらしい。 30代の時も40代の時も、いつも注意された。私が、映周先生に注意されたことで、守らないのは、作品を捨てたことと、このことだけである。
私は、一日にタバコ何箱も吸う愛飲家でもないし、一升瓶を何十分で飲み干せるほどの酒豪でもない。だから、これだけは、「ほっといてくれ!」というのが、私の止めない理由である。
この前先生にあったのは、去年の暮れであった。 私にとって映周先生は、バイブルのような存在である。映周先生をバイブルとして今の自分がある。 私の知る限り、最も優れた人物である。 その研ぎ澄まされた鋭敏な感覚、驚くべき鑑賞眼、プロフェッショナルとしての強靭な意志力、芸術家たらんとする合理的かつ徹底した思想。天性の才能。 後にも、先にも、これだけの人物を知らない。
映周先生は、自分の優秀さを決して人に見せない。知らない人は、真っ白いヒゲを生やした穏やかな老人と思うことだろう。 しかし、その仮面の下に、驚くべき人間の生き様がある。
残念なことに、誰にも寿命はある。それは仕方ないことであるが、私はそれが、この老人に訪れることを一番恐れている。
この世で、最も失いたくない人物の一人である。 それが、わが師、映周先生である。
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缶詰 <エピソード> ‘09/4/11(土) |
20代の後半、原稿を描くために、缶詰になったことがある。
「缶詰」という言葉も、業界言葉なのであろう。分からない人のために説明すると、作家などが、原稿を書くために、ある場所に拘束され、原稿を書かされることを、缶詰と言う。
缶詰は、集中的にコトを行う時に、特に締め切り間近とか、することで、つらい作業である。
私の場合は、本のイラストを描く作業であった。
私の古い友人に、柴田という名の男がいる。彼は、私が、十代後半のバンド活動をしていた頃の、リードギターリストで、その後、音楽業界に入った。
同じ大学の友人でもあるが、ある日、彼のところに音楽出版社からギターの教則本の出版依頼があった。教則本1冊を書くということである。 それで、中のレイアウトと挿入イラストの依頼を、私の所に持ち込んで来た。私はその頃、すでに雑誌で仕事をしていたので、私の所に持って来たのであろう。 私は、一も二もなくOKした。私との共著にしようと柴田が言った。
出版社との色々な打ち合わせの末、京王線の高幡不動にある柴田の実家で、3日間缶詰となった。 この3日間で、本1冊分の文章原稿、レイアウト、イラストのアイデアを作るという強行軍であった。本1冊分の仕上がりイメージを作るのである。
柴田は、私と同じく実家を出て、JR阿佐ヶ谷のアパートぐらしであったが、久しぶりに息子が家にいるというので、両親は大喜びであった。 私も十代の頃から、お邪魔していたので、十分顔見知りであった。
柴田家は、オヤジ様が、大手会社のお偉いさんで、立派な家であった。一階は広いが、二階は、二部屋だけで、柴田の部屋と隣に妹の部屋があった。すでに二人とも自立し、二階はそのままであった。 なんで二階が、二部屋だけなのか、その頃は考えもしなかったが、今の私ならその理由が分かる。 つまり、子供たちが自立して、家を出ることを考えたら、夫婦二人の老後は、一階だけの方が、楽である。年寄りは、階段の上り下りがつらい。それで、両親の寝室は、一階にあった。そこまで考えて作ってあるなと、今にして思う。 それはともかく、私が、居座ったのが妹の部屋の方である。ここが、私の簡易宿泊所になった。
部屋がそのままなので、妹の部屋には「タイガース」(阪神タイガースではない、人気バンドだった沢田研二のいたタイガース)の写真が貼られ、女の子らしく、縫いぐるみが大小取り揃えて置いてある。 部屋の壁紙やカーテンの柄までも女の子の部屋を感じさせ、イラストを描く環境としては、最悪であった。
隣の部屋で、柴田は一日中文章原稿を描いていた。一区切り出来上がると、私の所に持って来た。 原稿が上がると私の仕事である。それを、切り張りしてレイアウトし、余白にイラストを鉛筆で描き込んだ。 私は、「スーパーギターマン」(だったか忘れたが)のキャラクターを作り、スーパーマンと同じような格好させ、胸にギターの「G」のマークを付け、その彼が、少年にギターを手ほどきするという設定にした。
柴田が、エラク喜んだ。狂言回しに人物を設定すると、展開が楽なので、そうしたが、友人のウケは良かった。時々、柴田が気分転換にわが仕事場を訪れ、私の作業を面白そうに見学した。
膨大な仕事量であった。本1冊三日間はきつい。イラストも小さいカットまで数えたら、ゆうに100カットは超える。柴田は、予定を変えない意志の強さがあったので、本当にやる気なのだろうなと思ったら、本当にやってのけた。それで、私も全部やる羽目になった。
途中、柴田のオヤジ様が、陣中見舞いに二階に上がって来た。 若者が、一生懸命仕事をしている姿は、微笑ましく映ったことだろう。今の私なら、そのことが良く分かる。きっと、うれしかったのかもしれない。
柴田の母親には、三度の食事の面倒を見てもらい、やっていることは、キツかったが、今から考えると、貴重な体験であったような気がする。
その後、本は完成し市販された。印税形式であったが、あまり売れなかったらしい。 世の中そんなに甘くない。
若き日の物語である。
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悪口三昧 <エピソード> ‘09/4/4(土) |
かの作家、故三島由紀夫氏も言っている。 人の悪口ほど魅力的なものはないと。 氏ほど知能指数の高い御仁も、人の悪口には寛大である。 だから、言うわけでもないが、確かに精神衛生には良い。 それで、私も人の悪口には寛大である。
さすがに私も、紳士(?)であるので悪意のある悪口は、言わないことにしている。他愛のない精神衛生上の健康管理を目的としている。 健康管理は、やはり徹底すべき事柄であろう。そこで、悪口三昧という魅力的な健康維持に努める。
以前知っていた男が、「自分は人の悪口は言わない」と言った男がいた。 この類の聖人君子は苦手である。 そう言われた時に、私は気まずい沈黙をしたものである。こういうことを、面と向かって言われると、相当気まずい。 何か反省しなきゃいけないのかいと、自責の念を抱いてしまう。
その後、その立派な御仁が、意外と女々しいことを知るに至り、安心するよりも、案の定と思った。 そんな聖人君子に、そこらを歩かれては、堪らない。人間ならそれはないよな、と思った直感は当たっていた。
彼が、カッコづけで言っていたことを発見すると、以後その男を相手にしなかった。 人間は、出来ないことを、カッコつけて言ってはいけない。それは、見栄とも違う。 ウソの範疇に入る。
また、私は頭の悪い人間が嫌いである。それをカバーするに足る善良さがあるなら、それは、それで敬愛するが、単なる生意気馬鹿は、御免こうむりたい。 私のかっての絵の仲間にそういうのがいた。 私より大分年が下であったので、馬鹿さ加減に随分と我慢したが、結局付き合いを断った。 いつも会った後は、言い知れぬ嫌な気持ちになった。 それでは、付き合えるもんではない。
また、こういう男もいた。私の学生時代の友人で、同じ学年であるが、彼は年が一つ上であった。 そのせいか、何かにつけて私を子供扱いした。それが問題ではなかった。確かに学生時代の私は純粋さゆえか、幼稚なところがあった。 問題は、彼が兄貴面して私に語ったことである。
彼の狭い北向の三畳の下宿に何度か遊びに行った。 彼は、その薄暗い劣悪な環境の中で、陰気な話をするのが得意であった。北向の唯一の窓を開けると、手の届くところに隣の家の壁があった。日は当たらない。陰気な考え方をするには、申し分ない。
確か、私が19才、彼は21才。
彼は、そこで教師を目指して勉強していた。父親が小学校だったか、中学校だったかの教師であった。 彼の陰気な話の中に、女の子の話が登場する。高校の同級でプライドの高い女の子だそうだ。 彼もプライドが高い。それで、アプローチに苦慮していた。 また、彼は自分のことを称して、俺はスルメのように噛めば噛むほど味が出るとも言った。これが21才ぐらいの若者の話である。 当時でも私は苦笑した。
一度家に招いたところ、わが両親の彼への評判は、芳しくなかった。 彼は、プライドの高さを誇るように、わが両親に一瞥しただけであった。
その後、何となく疎遠になった。
今思うに、その当時の彼は、オジン臭いことこの上ない。今の私より老成しているような気さえする。それに、プライドの高い男が、プライドの高い女を口説くのに、方法は一つしかない。自分の埒も無いプライドをかなぐり捨てて、突進するしかない。
遠目で、自分が傷つかないように、女性をくどく方法などありはしない。相手にとっても、そんな意気地のない男に用はないであろう。 私の両親に対する態度もそうである。少なくとも、私の両親は、彼が張り合う相手ではない。当然、プライドで、武装しなければならない相手でもない。 普通に挨拶すれば済むことである。劣等感の裏返しと取られても仕方あるまい。若いというより、幼稚である。 若い時にこれほど、気の利かない、退屈な男が、今、教師をしていることだろう。 彼は、若い時にすでに老成し、元気を失っていた。スルメの例えは、考え方が乾燥しているところが、似ている 彼が、噛めば噛むほど味があると言ったのは、単なる自己愛である。そんなもの誰にでもあって、人に言うことではない。
こんな彼が、一体若者に何を教えるのだろうか?
この前、ふと思い出し、そんなことを考えた。私の付き合った友人の中で、一番地味で、傲慢で、退屈な男であった。私が、付き合いを止めたのも、それが理由であった。
若い時に、間違ったことを言うこともある。間違った態度をとることもある。 しかし、十分大人になった今、懐かしい思い出となる友人と、そうでない友人とがいる。
今の私には、そうでない友人たちが使った詭弁が、よく分かる。それは、若さの為せるワザではない。人間的な問題である。 それは、本人の責任であるし、私の軽蔑の対象として、悪口三昧の種となる。
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怖いもの見たさ <エピソード> ‘09/3/28(土) |
世の中に怖いものはある。
例えば、ホラー映画やお化け屋敷などは、人が持つ怖いもの見たさを、狙った企画であるが、なぜ、怖いのに見たがるのであろうか?
人間の不思議である。
怖いのに見たい。見たくないけど見る。矛盾である。 人は、矛盾を抱えた心理を持つ。なぜだろうか?
望むことと反対の行動を取る時には、何か理由がある。普通はそうであろう。しかし、心理の持つ矛盾には、理由が見当たらない。 もし、本当に怖いのであれば、見ないであろう。だから、本当に怖いのではない。本当に嫌がっているのではない。その中途半端が、ややっこしい。
現実問題として、怖いことは沢山ある。
車を運転していて、事故は怖い。人でも轢いたら大ゴトである。これは、本当に怖いので、一度やってみようとは、思わない。 最近、物騒な事件が多いが、こんな事件を目撃したくない。振込詐欺には、当然遭いたくない。不況の嵐に巻き込まれたくない。
本当に怖いものは、怖い。だから見たくない、遭いたくない、経験したくない、となる。 でも、幽霊屋敷の探検は、面白そうだと考える。ややっこしい。
アメリカ映画で、お化け屋敷みたいな見世物小屋に、本当の殺人鬼が出現するというのをやっていた。 初めは、入場者もキャキャ言っていたが、次第に恐怖に駆られて行く。 興味本位が、本当の恐怖に変わるというコンセプトである。
その映画をテレビで、見ている観客は、「本当の殺人鬼がいるのに、まだ気が付かない。バカだなあー」と、面白がって見ているのであるが、それが、「貞子」のように、テレビ画面から出てきたら腰を抜かす。
当分、怖いもの見たさから、本当の恐怖に変わるこの手の企画は、続きそうである。
1980年代に、ジャンク映画という危ない映画が出回ったことがある。新宿の上映館でも堂々とやっていた。 本当の殺人場面(?)を映画に撮り、巷に流したのである。どこどこの警官が映画を見て、「これは実写だ!」と言った証言が、宣伝文句に付いている。
実写だとしたら、こんな物騒な映画はない。作り物だから映画は、面白いのである。 それは、制作側と観客との了解事項である。
新宿の上映館でやっていたのは、ニューギニア(?)の奥地に分け入った探検隊が、野蛮な現地人に捕まり、串刺しにされる。その間、カメラが動いていたというものである。
上映館では、串刺しにされた男女の看板が掲げられていた。真偽は分からない。本当なら、上映禁止だろう。本当かもしれない危ない誘惑をしている。 私も、怖いもの見たさで、切符売り場まで行って迷った。もし、本当なら正視に堪えない。これほどの残酷はない。これは、見てはいけない映画だと、その時思った。 結局、そこで引き返した。今でも、引き返して良かったと思っている。 危ない映画は、見るものではない。
子供の頃、親と「四谷怪談」を見に行った。とても怖くて、前の座席の背もたれに顔を埋め、目だけ出して、映画を見た。
怖いもの見たさは、そんな幼稚な動機で良い。それが、怖いもの見たさの正常な心理であると、私は思う。
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ここは一つ人生論 <エピソード> ‘09/3/21(土) |
私も、人生論を打つ年になった。
私の人生も寂しいものではない。 今までエピソードで、何度となく紹介してきたが、色々な局面を向かえ、その度に色々な職業に就いてきた。 就職したこともあるが、ほとんどがアルバイトである。その数ザッと40。 自慢にならない数字である。 私の人生観が、その中で培われたなら、気休めにもなるが、ほとんどそういう記憶はない。
私の人生観は、若い時から一貫して続けてきた、絵の世界で培われた。絵が私に人生を教えてくれた。そう断言できる。だから、私の人生論は、絵なくして語れない。
ただ、絵のこととは関係なく、私の人生に影響したものはある。
中学生の時に、同級生の女の子からゲーテの詩集を借りた。その子がためになると貸してくれたが、女の子へのお愛想から借りることにした。読む気はなかった。
返す時に感想を言わなければ、いけないと思い、ポツポツ読み出したが、その中に好きな言葉を見つけた。
「君が今、何をしているか教えてくれたら、将来何になるか当てることが出来る」
確か、そんな文章だった。以後、この言葉が私の座右の銘となった。 二十代の時も三十代の時も、この言葉で自分を戒めた。今、何もしていなければ、将来も何もしていない。 もう一つ、印象に残っているのは、高校生の時に見た映画である。以前、エピソードでも書いた、「プロフェッショナル」という西部劇だ。
4人のプロが、メキシコ奥地に、拉致された婦人を救出に行くというストーリーである。 プロフェッショナルが4人集まり、仕事をする。自分も将来そういうプロになりたいと強く思ったものである。普通の人間には憧れなかった。自分しか出来ないことを手に入れたかった。
さて、絵は私に色々なことを教えてくれた。 忍耐強さ・根気・理想と現実の違い・夢と日常・高尚な考え方、低俗な考え方・賢さとは・愚かさとは・情熱と怠惰・人を見る目・物を見る目・絵を見る目・芸術と通俗等々・・・
一つのことを続けていると、そこから色々なものが見えて来る。それがその人の肥やしとなり、糧となる。 だから、人生観は人によって様々である。何をしているかによって、学ぶものが違うのである。 当然、学んだ結論も違ってきそうであるが、これが不思議と皆同じ所に行き着く。
イチローが大記録を作るのに、特別なことはしないと言っていた。
記録は一つ一つ積み上げていくしかない。だから、何が大事かと言うと、自己管理が一番大事なことになる。自分を管理し、目的に向かって、淡々と続ける態度こそが、求められることになる。
こういう地道な考え方こそが、すべての職業の共通項である。忍耐と努力と情熱。 皆、それぞれ違う方向から学び、同じ結論を得る。 それが、人生の秘密でもある。若者には分かるまい。
しかし、これだけは暗記すべし。
継続こそ力。
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