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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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面倒がる子 <キッズコース> ‘09/3/20(金)
   子供は、面倒がる。

教室で、今日の作業を説明すると、「エー面倒くさい!」と言われることは、度々である。
   
   以前、火曜教室の子が、特に言っていたことである。
毎回なので、サービスであげている飴を、1回言うと、次週分が1個減るとした。
   それからは、さすがに簡単には言わなくなったが、私の理屈は明瞭である。

絵の教室は、面倒くさいことをワザワザやる所である。絵にしても、工作にしても、考えてみれば面倒なことばかりである。
   そこに希望して入って来た子が、「面倒とは何事ぞ」というのが、理屈である。

だから、私は単純に腹を立てる。

   今では、その罰則はない。人数が増えてやりたくても出来なくなったからである。
   「面倒くさい」と誰が何回言って、誰と誰から何個飴を取り上げるか、とても管理しきれない。そのくらい頻繁に言う。
   それに、子供は記憶が良い。間違えると大事である。それこそ面倒くさい。

今は、面倒くさいと言うと、余計面倒なことをやらせている。面倒が面倒を生むのである。そういう教育をしているわけではないが、絵の教室は面倒臭いことを避けて通れない。そのことは教えたい。

   水曜教室にMちゃんがいる。小学3年生の女の子である。
その子が、絵本の模写をすることになった。教室に置いてある、何冊かの絵本の中から選んだのが、「しらゆきひめ」。

   パラパラとめくった感じが良かったのであろう、それを描きたいと言う。1冊全部である。それなら字も入れて、本と同じ大きさに描けば、オリジナルのMちゃんの絵本が出来ると言うと、やる気満々になった。

   さて、いざやる段になって、ハタと困ったらしい。「しらゆきひめ」には7人の小人が登場する。
   それも、ほとんどのページに出てくるのである。7人とも。

「先生、7人も、とても描ききれない。減らして良い?」
   Mちゃんがトンでもないことを言い出した。
「白雪姫と7人の小人」は、今や世界の常識である。減らして良い問題ではない。
   
   しかし、この問題は、結局私が折れるカタチとなった。小学3年という学年を考慮したことと、折角やる気になっているので、迅速な対応が必要であった。もたついていると、やる気を失くす。

   でも、本当に7人は描けないのであろうか?3人描ければ、7人も描けるはずである。
   Mちゃんは面倒くさかったのであろう。おそらく、それが当たっていると思う。

さて、Mちゃんの描いた「しらゆきひめ」は、その後完成した。Mちゃんは、7人の小人を半分に減らすと言うので、Mちゃんの描いたのは、「白雪姫と3.5人(?)の小人」である。

   各ページに3人は登場する。あとの0.5人はページの端で体が半分だけ登場するのである。どのページもそうなっている。
   
   まっ、描き上げたのだから、ツベコベ言うまいが、そういう調整する方がよほど面倒くさいと、私は思うのだけれど、いかがでしょうか?

子供はどの能力が優れているか? <キッズコース>‘09/2/20(金)
   さてさて、このこと、どう思われるか?
もちろん、絵の話である。

   普通に考えると、感性面が大人より数段優れているように思うが、どうだろうか。一つ一つ当たってみよう。優れているところを見出せれば、そこが大人と子供の絵の違いと見ることが出来るし、そこを伸ばしてあげようと、指導方針にも役立つ。

   まず、絵を描く上で、重要な要素を挙げてみよう。

一つ目が、前述の感性、二つ目が発想、三つ目が技術、そして四つ目が努力であろう。これは成人の場合を想定している。マシな絵を描くための条件である。

   この中で、子供に当てはまらないのは、三つ目と四つ目であろう。技術はないし、努力もするとは思えない。

   すると、一つ目の感性と二つ目の発想が残る。では、これを以って、子供が大人より優れている点かであるが、どうだろうか?

   確かに感性は、子供らしい感じ方というものがある。
しかし、それもせいぜい小学校に上がる前の4才から5才ぐらいまでである。大人では想像も付かない絵を描くのが、この頃で、以前にも書いたが、天才かもと思ってしまう。大人は絶対にマネは出来ない。

   逆に、発想面は弱く、アイデアらしいアイデアは、ほとんど見かけない。感性だけで絵を描いていると言える。
   小学校に入ると、ひたすら大人に向かって成長していくので、感性面は弱くなる。
   逆に幼児と違って、発想面が豊かになっていく。

子供らしい発想はここで出てくる。
教室のメニューにアイデア漢字と言うのがある。漢字一文字か二文字をアイデアでもって変えてしまうのである。
   簡単な例で言うと、「雨」と言う漢字を、アイデア漢字では中の四つの点々が、雨粒になっているとか。

   汚い例で申し訳ないが、私が大声で笑ってしまったのは、小学5年生の女の子Mちゃんが描いた「犬」である。犬の右上の点が、犬のウンチになっている。

   また、小学2年生の女の子Hちゃんの「手」。 手の平の絵が大きく描いてある。
左手の内側である。そこに手のシワの代わりに、「手」という字を描いている。それがシワに見えるし、まさしくアイデア漢字である。
   このアイデアには感心してしまった。

   ということで、「子供はどの能力が優れているか?」の私の答えは、幼児期は感性、小学生は発想となる。

   どうだろうか?

幼児期の僅かな期間、人は一生に一度、描写の天才になる。が、これはこの能力を伸ばすという問題ではない。
   すると、絵の教室としては、小学校に入ってからの発想を鍛えることになる。人生において、アイデアが浮かぶか、浮かばないかでは、人生を大きく左右するといっても過言ではない。

   何をするにしても、アイデアは必要である。
そこで、結論。 子供は、アイデアを鍛えよ!

自然を知る <キッズコース>‘09/2/19(木)
   キッズコースで、子供たちに自然のことも感じて欲しい。

季節、行事と来たが、今度の自然は、もっと広範囲な意識である。地球の自然現象・天体など、当然地球温暖化も入る。

   やたら、恐竜に詳しい小学3年生がいる。歴史ではあるが、生き物の祖先の話は、これも広義に解釈すると自然と考えることが出来そうである。
 
   その子は、自然現象の絵も描く。面白い子である。
この間は、未来の都市の絵を描いていた。一つの都市を中心に管がたくさん出ており、その中を、タイヤのない車が行き来する。都市の周りには、意味不明な物体(建物?)が散在し、スペースシテイーさながらである。

   映画で見た印象かなとも思ったが、それとも違うようである。私がその手の映画は、ほとんど見ているので、ちょっと違うなと思った。その子のオリジナルだろう。
   実は、そういう絵を描く子は珍しい。小学3年以上の男子は、ほとんどがマンガやゲームのキャラクターが多い。

   昔の子供も未来の絵は描いた。未来の都市、未来の地球、宇宙都市など、未来に夢見ることが多かったように思う。
   今の子は未来の絵を描く子は少ないし、どちらかというと、苦手である。

なぜだろう?

   未来に対する夢を持たないのだろうか。未来を想像しなさいと言うと、火山噴火や恐竜時代に逆戻りしたり、中々宇宙時代を描いてくれない。

   地球温暖化が叫ばれる現代、小学3年生以上の子は当然知っている。そのせいか、未来に対する期待がないのかと、勘ぐってしまう。

   時代が豊満化し、SF映画では簡単に未来を見せてくれる。簡単に未来らしき映像を手にする事が出来る。昔の子供が自分で描かないと視覚化できないのと、ここが大きく違う。

   簡単に手に入ると、そのものの執着はなくなる。それで、未来の絵を描く気がしないのか? 地球温暖化による未来に対する自己閉鎖なのか? それとも、これ以上未来に期待する材料が見当たらないのか?
   こればかりは、本人に聞いてもよく分からないのだろう。今の子供にそういう傾向があると言うことは、同じように感じる共通の情報があるはずであるが、それが、特定出来ない。

   未来にもっと夢を抱いてほしい。未来の絵をもっと描いてほしい。これから確実に、未来に向かって生きていかなければならない、未来の大人たちは、地球規模、宇宙規模の荒唐無稽な夢は必要であろう。

   我々は、自然の中に存在している。

未来の大人たちも、この地球の中に存在し、この宇宙の中に存在し、いわば広大な大自然の中に存在している。
   文化の中に存在しているのではない。文化は我々が生み出したもの。我々は、自然が生み出したものである。

   だから、今日見るテレビ番組より、明日を夢見ることの方が大事であろうと思うが、子供たちにそれは分かるまい。
   明日を夢見、自然に夢見、自然の中で生きてる意識。

自然を知って、未来がある。それが分かると良いのだが。

行事を追う <キッズコース>‘09/2/18(水)
   季節を追う意味は、お分かり戴けたと思う。
では行事を追うとはどういうことだろうか?

   これは、各季節の具体的な行事を、絵にするというメニューである。
春ならお花見である。
   「今日のテーマは、お花見です」と言って、お花見に行ったことを思い出して、描いてもらう。

   お花見にも色々なお花見がある。近所の桜を見るだけの、お花見もあれば、屋台のお店屋さんが立ち並び、チョコレートバナナを売っていたり、焼きそばやフランクフルトソーセージを売っていたり、人手の多いお花見もある。

   夜だと提灯がズラリとぶら下がり、まるでお祭りである。そんなお花見もある。
これも、季節を追うのと同じであるが、もっと具体的な一場面を思い出させる効果がある。

   子供が好きなものは、こういったお祭り的なものであろうが、プールや海水浴に行った記憶も夏の行事の記録として見逃せない。
   大事なことは、その記憶している内容である。運動会を思い出して描いたとして、どのくらい運動会場の雰囲気を把握しているかである。

   足りないものがあると、助け舟を出す。「ここは上に各国の旗が、たくさんぶら下がってないの?」と言うと、「アッ!そうか」と思い出したらしく旗を描き出した。
   ただ、この場合日本の旗以外分からなかったことがあった。教室にあいにく各国の旗がない。それで、その子の旗は、全部日本の旗になった。ご愛嬌である。

   子供の頃の記憶は、大人になるにつれ、薄まっていく。これは仕方がないことである。
   だから、記憶が鮮明なうちに絵にしてもらう。観察力も学年が下がれば低下する。しかし、その分、鮮明に焼きついた印象は、増大するようである。

   小学一年生が、お神輿を担いでいる絵を描いたことがある。お神輿らしきものと、その下のゴチャゴチャの人々が、良くその場の雰囲気を出していた。
   人間は、ほとんど判別不可能である。本人も描きたいのだろうけど、描けない。そこで雑草とも思えるゴチャゴチャを描いたのであるが、それが何とも的を得ている。

   一応本人の説明がいる絵ではあるが、説明を聞くと、なるほど印象を良く捉えていると感心する。そのものズバリの方が説得力があることがある。
   上級生が、なまじ周りの景色を描くより臨場感が出る。

行事を絵にしてもらうのは、季節感を絵にしてもらうことと、同じような狙いがある。季節の把握そして季節の中の行事の把握である。
   私も子供の頃に絵の教室があったら、記憶ももう少し違ったものになっていたかもしれない。残念ながら塾しかなかった。

   記憶を絵にするのは、良いことだと私は思う。日記を書く衝動と同じで、目に見える形で残したいとするのは、人間の保存本能ではないかと、思ってしまう。
   子供たちに、記憶の保存をやってもらうことに、意義があると考えている。

季節を追う <キッズコース>‘09/2/17(火)
   キッズコースでも季節を追うことはある。

水彩の日というのが、メニューにある。水彩絵具を練習する日であり、マンガ以外なら一応何を描いても良いと言っている。
   水彩は、面倒なので嫌がる子も多いが、水彩は結構大人でも難しいものである。それで、定期的に練習している。

   その水彩の日に、ある子が質問した。「先生、季節が違っても良い?」
その日は2月の始めであった。 夏の絵でも思い浮かんだのかもしれない。当然良いと返事した。水彩の練習になればいいので、季節は問わない。

   しかし、今の季節を描きなさいというメニューもある。水彩で描くこともある。そういうメニューの狙いは、季節感の把握である。この場合は、季節が違っては意味がない。

   日本は、四季の国である。今の子供が、どれほどそれを感じているかは、分からないが、大人としては、季節を感じることは、良いことだと思っている。
   日本の春のイメージ、夏のイメージ、秋のイメージそして冬のイメージと、それぞれ特徴を持ち、それに伴って行事や催し物もある。

   春には桜が咲き、新学期、新入生、暖かくなり陽も大分伸びる。何かを新しくやってみたい時でもある。

   5月は男の節句、連休があり、一段と暖かくなる。行楽シーズンでもある。6月に入って、梅雨。ジメジメして、空はどんより紫陽花が印象的に雨の中に咲く。

   夏の到来、梅雨が開け一気に温度が上昇する。子供たちにとっては、待ちに待った夏休み。アッチコッチで花火大会。8月猛暑。プール・スイカ・ぶどう・海水浴・森林浴。夏祭り・ゆかた・縁日。

   9月残暑。まだ暑い。
10月、ようやく残暑が和らぐ、秋到来。11月紅葉、秋の夜はつるべ落し、急速に、陽が短くなる。
   12月師走。クリスマス・大晦日
1月、新年。参拝、成人式。
   2月梅が咲き、豆まき。3月ひな祭り、公園の木蓮が咲き始める。卒業式・卒園式。

   一年が経つ。

子供たちは、何を考えどう過ごしたのだろうか。
   今の季節を描きなさいと言うことは、今の季節を刻みなさいということ。出来るだけその季節をイメージさせる。
   この季節にはこんな行事があるよ、こんな食べ物があるよとヒントを与える。

そして、それをたくさん描いてもらう。描くことによって、季節を頭に定着させるのである。
   日本の四季を実感してもらいたい。春から一気に夏休みまで飛ばさないように、しっかりと感じ、描いてもらう。
   
   キッズコースでは、そんな季節の追い方をしている。