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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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いつも絵と一緒に <大人コース(初級)レベル> ‘09/2/13(金)
   いつも絵と一緒にいたいものである。今回は、そんな話しをしてみる。

以前、「絵を描き始めた時の変化」で、こんなことを書いた。
   
<絵を初めて描き始めると、色々な変化に気付くことだろう。その主なものとして、最初に目が変わる。ということがあげられる。街を歩いていて、いままで気にも留めなかったことに目がいくようになる。興味の主体が変わるのである。> と。

   習い事の常であるが、まず興味の感じ方が変わるということがある。これが一番最初に訪れる変化である。
   そして、その次の変化へと続き、次第に変化と変化との間が長くなっていく。つまり、一皮ムケながら成長していくのである。
   十年ぐらい絵を描いている人は、次の変化が訪れるのが何年も先ということがある。

   かくゆう私も例外ではない。私事であるが、つい最近一皮ムケた。その前が15年前である。ナントのんびりしたテンポではないか。
   
   一皮ムケると、まず本人が気が付く。何かが変わるのである。いままでモヤモヤしていたものが、一気に晴れるような気持ちを味わう。これは、実に有り難い感覚である。そして、益々、絵にのめり込んで行くのである。

   他人から見てもその変化は分かる。「アッ!何かを掴んだな。」

絵を描くということ、制作をするということは、そういう繰り返しをする。それが続けて来た者だけが味わう喜びでもある。

   絵を描き始めたばかりの皆さんは、「そんなものかなー 」と思うことだろう。
何か他に長く続けているモノがある人は、どれも成長の過程は同じなので、お分かりだろうが、習い事は初めてという人は、そういうものだと思ってもらいたい。

   私も色々なテーマで文章を書いて来たが、あくまでも絵のことについてであり、一番長く付き合った絵のことしか分からない。
   しかし、絵を通して人生を語ることは、出来るように思う。

ここで人生論をブツ気もないが、絵が関係する人生を語ることは、皆さんのためになるかもしれない。

   要点は、いたって簡単である。「絵を描き続けよ」「休んでも良い。しかし、休んだ後は、また描き続けよ」である。
   簡単である。私がして来た事、感じた事、そして考えた事を、全て要約すると、こういう言葉になる。

   皆さんが、何かの偶然か、前からの希望か分からないが、絵を描いてみようと思ったのだから、折角、そう思ったのだから、その楽しさ、喜びを知らないで、すぐ他に目が移るのは、決して有意義な選択とは言えない。

   どんなものにも、必ずその世界がある。必ずその魅力がある。どれを選ぶかは本人の勝手であるが、一度選んだものは、そう簡単に手放さないことである。
   そして、絵を選んだのなら、入り口のドアを開けて中に入ってみることである。

中に入っても、絵の館の全体像は分からない。だだっ広く何もない真っ白な部屋が一つあるだけである。呆然とするかもしれない。

   その部屋は、皆さんが望むことにより変化する部屋である。色がほしいと願えば、壁に色が付く。窓がほしいと願えば窓が付く。奥が見たいと願えば、ドアが現れる。
   それが、最初の部屋である。そしてその次の部屋は、また別な趣向に凝らされている。

   ワクワクするようなこともある。ビックリすることもある。ドキッとすることもあるかもしれない。楽しい所もあれば、怖い所もある。
   そういう人生がある。経験し希望し、切望することによって、人生は変わっていく。
   私が、人生を語れるとしたら、そういう絵の館で過ごす人生だろう。

そうして、皆さんが、いつしかその館の住人になった時、

   「いつも絵と一緒にいることになる」

100号の大作 <大人コース(初級)レベル> ‘09/2/12(木)
   また、油彩画の話であるが、6号か8号ぐらいの絵を描いている初心者に、100号の話をしてみようと思う。

   100号と言ってピンと来るだろうか?

女性だと、自分の背丈より高いかもしれない。大きい絵である。   

   皆さんが、絵を描く時に、一番思うことは何だろうか。
6号の絵を描いている人は、その6号が精一杯かもしれない。もしかしたら、4号の絵を描いていても、精一杯かもしれない。

   描き初めというものは、そういうものだろう。 どうやって上手く描けるのだろうかと、いつも考えているのではないか。

   要するに、描く大きさではないようだ。 上手く描けない。初心者の一番最初の悩みである。
   そういう悩みを抱える者に、100号の話をする。
トンでもないと思うかもしれないが、まあ聞いて欲しい。

   100号は、一般住宅で描ける、おそらく最大の大きさだと思う。F100号の規定サイズだと、162cm×130cm位である。タタミ一畳の基本サイズが約180cm×90cmなので、面積比だとタタミの90cmを117cmぐらいにした大きさになる。

   さて、こんなに大きな絵は、絵を始めた者が、何年ぐらいして描くとお思いか?

初心者は、単純に10年ぐらいかなと思うことだろう。10年先のことは分からない。だから、分からないことは、10年後に置くのではないか。

   私の知っている人で、描き始めが100号の人がいる。若い人であるが、油絵を思いっきり描きたかったと言う。描き始めなので、絵はままならない。それで、失敗すると、すぐ100号とは行かないので、そのサイズの紙に描いて練習していた。

   実際にそういう人はいる。

絵の大きさを経験によって、少しづつ大きくするのが、何となく良さそうに思えるだろうが、実際にそんなルールはない。本人次第である。描き初めが、6号の人もいれば、100号の人もいるということである。

   前述したように、初心者の悩みは、画面の大きさではない。6号で苦労するのも、100号で苦労するのも同じである。

   だから、100号を描くのを、10年後と設定することが、適当な考え方とはならない。あくまでも個人的なことになる。そういう人も要るという、話になる。
   ままならないのは、6号も100号も同じだからである。

言わんとしていることが、お分かりだろうか。

   初心者が、6号の絵を万一小さいと思ったら、大きい絵を描いて良いのである。何の遠慮も要らない。それが、30号でも50号でも100号でも早いということはない。
   
   本人が欲したところに本人がいる。もし、初心者にルールがあるとすれば、「自ら望む通りに」がルールになる。つまり、やりたいことを今やりなさいということである。

   初心者が絵を上手く描けないのは当たり前である。経験がないのだから。だから、逆に言ったら、何も怖がるものがないということである。堂々と一番出来るのが、初心者であると言える。
   そのことお分かりか?

100号の大作、何するものぞ!

   と、言えるのは実は、初心者なのである。そして、すんなり100号から始められるのも、初心者なのである。

   だから、絵を描き始めの皆さんに、お聞きする。

6号から始める?  それとも100号から?

巻きキャン、張りキャン <大人コース(初級)レベル> ‘09/2/11(水)
   これは、油彩画のキャンバスのことである。
木枠にキャンバスが張ってある状態で、市販されているものを、俗に「張りキャン」と言う。
   また、ただ巻いてあるだけの状態で売っているものを、「巻きキャン」と言う。

使い道は、何となくお分かりだろう。当然「張りキャン」の方が割高であるが、F6からF10など規定サイズは、「張りキャン」を買う人は多い。
 
   少し慣れてきて、もうちょっと大きなものにチャレンジし出すと、「巻きキャン」の方が、ガゼンお得なので、既成品は買わなくなる人が多くなる。

   いずれにしても、「巻きキャン」を買うにしても、少しキャンバスやその他の事に慣れる必要はある。

   まず、キャンバスには荒目、中目、細目があるので、自分には、どれが適当か分かってないと、下手すると大量に無駄買いしたことに、後悔することになる。

   それと、「巻きキャン」を買うにしても、木枠がないとならない。木枠だけ別に買う人もいるが、大抵は、すでにある木枠からキャンバスを剥がして使う人が多い。こうして、描いた絵は、巻いて収納できるし、場所も取らない。
   そして、木枠を使いまわしする分、安く上がるわけである。

あと、「巻きキャン」には、厄介な事がある。張らないとならない。そのための、道具も必要である。
   張るための道具としては、キャンバス張り器(先が平べったいペンチなようなもので、それで、摘んでキャンバスを引っ張る)・キャンバスタックス(画鋲のようなもので、キャンバスを木枠に留める)・金づちがある。

   キャンバスを木枠に貼り付ける作業は、慣れると、どうと言う事もないが、やはり、初めは戸惑うかもしれない。 しかし、「巻きキャン」の金銭的お得感は、貴重である。

   それに、描いているうちに次第に分かることだが、木枠つきのキャンバスは、結構、場所を取る。描いたものが、結構な量、溜まるということである。

   そこで、これは一つの目安であるが、ある程度木枠も溜まり、慣れてきたところで、「巻きキャン」にするというのは、どうか?

   キャンバスを木枠に取り付けるようになったと、自分を確認するのも、今後の制作に勢いが付くように思う。
   初心者は、オッカナビックリなものである。でも、いつかは、慣れて気が付かないうちに、年数を刻む。

   だから、ここは一つ、キャンバスを貼れるところまでを、目標にしたら、どうだろうか?
   絵は、そこが深い。あれよあれよと言う間に、年数は経つ。始めたばかりの人は、まだまだと思うかもしれないが、区切りは必要である。
   その区切りを、「巻きキャン」にするのも、いいかもしれない。

風景画は最初にこう描け <大人コース(初級)レベル> ‘09/2/10(火)
   以前、風景画はカタマリごとに描くようにと、書いた。

この場合のカタマリとは、空、遠景の山又は森、中景の林又は家、近景の木々又は道などを言う。
   絵で一番最初に考えるのは、分割である。油彩ならキャンバス、水彩ならスケッチブックの画面をいかに分割するかが、最初の作業になる。
   上から空をどのくらい取るか。そして、その下、その下と続く。

風景は、余計なものが結構多い。全部描いていたのでは、大変である。だから、自然と間引いていく作業が伴う。細かく見たのでは切りがない。

   一番最初に描こうとする風景を前にして、あれもこれもと見たのでは、風景画は完成しない。
   だから、描きたい風景を前にしたら、すぐに描き出さないことである。このこと、大事である。
   よーく見ること。スケールがあれば、景色を切り取って見ることである。

何でもそうだが、計画は立てる必要がある。スケッチを描くなら、行き当たりばったりでも良い。スケッチとは、ある意味メモみたいなものである。メモを取るのに計画的にメモする人はいないだろう。メモはあとでまとめるためにある。スケッチも同じである。

   しかし、作品を描こうと思ったら、メモでは不味かろう。そういう話である。

そこで、作品として描くのなら、「風景画は最初にこう描け」という話になる。
   作品化する前に、人によっては何枚もスケッチを重ねることがある。これは、どういうことかと言えば、まず、イメージの定着である。そして構図の定着のためにする。

   こうすることによって、描きたいと思う風景を、様々に検証するのである。確実な方法であるが、時間のない人、又はスケッチがままならない者が、スケッチをしてもアッチコッチ直している内に、日が暮れそうである。

   初心者は、技術的に抱える問題が多い。それゆえ、描きたい風景を前にして、歯がゆい思いをすることだろう。

   そこで、初心者向けの風景の描き方をお教えしよう。
まず、その一、上手く描こうとするなかれ。

   前述したように、描きたい風景を前にしたら、すぐに描き出さないこと。風景をよーく見ることが、大事である。
   空があり、湖、又は川がある。水があるなら、流れもある。どっちに流れているとか、湖ならどう広がっているとか、森や林がどう繋がっていくとか、そのくらいは、観察したい。

   そして、その二、風景を分割せよ。どう切り取るか、画面にどのように納めるかを考える。

   これは、上手く出来なくても良い。問題はそういうことを意識してやってみることにある。風景の見方は、初級も中級・上級も一緒である。初心者は慣れない分、描き切れないかもしれない。

   しかし、スタートは同じにしておけば、あとは技術的に上達すれば、いいので、あとが楽である。
   スタートを初心者用にしておくと、あとで慣れた時に、中級者用の描き方を、また、いちから勉強しなければならない。
   効率が悪い。

上手く描けないなら、上手く描けないなりの、絵を描けば良い。技術はいずれ身に付く。そう信じてほしい

   だから、まず、風景画は最初にこう描こう。よーく見て、画面の納まりを考える。
それで良い。そういうクセを付けておけば、技術はそのうち自然に、あとから付いて来る。

ハサミで切って出来る二つの形 <大人コース(初級)レベル> ‘08/12/19(金)
   A4の紙の真ん中に、鉛筆で三角形を描いたとする。次にその三角形をハサミで切り取ったとしよう。
   すると、二つの形が出来る。三角形と、そして三角形に切り取られたA4の紙である。

   今回の話は、ものの見方の話である。

皆さんが、ものを見る時に、何処を見ているのだろうか?
   例えば、椅子に女性が座ってたとする。街中の喫茶店で、しかも綺麗な人だったとする。男性諸氏が、この女性を見る時に、当然その人本人を見ることだろう。
   妙な置き換えの話をするが、その見方を先ほどの、三角形に置き換えると、その女性は、切り取られた三角形に該当する。

   しかし、視覚に写っているのは、三角形に切り取られた紙の部分に当たる、その他の部分もあるはずである。
   ここで、説明しやすいように、三角形を内側、三角形に切り取られた紙の部分を外側としよう。

   わが師、映周先生が、「彫刻とは、内側に接する外側の空間美だ」と、昔言っていた。
   先生は、彫刻が専門なので、外側を、そう表現したが、絵でも同じことは言える。

   つまり、もののカタチには、二つあるということである。内側と外側。
しかし、人が、カタチを見る時に、まず、間違いなく内側を見るのではないだろうか。
   人のカタチに対する認識は、内側を意味する。何かの事情で、意識して外側を見ない限り、見ることはないと言っていい。

   これが、一般的な話である。

そこで、絵を描いている者、描き始めた者は、もののカタチは、内側と外側の二つあることを覚えておこう。そういう見方が、絵を描く一つの見方としてある。

   例えば、花のカタチが上手くとれなかったり、デッサンをしていて、どこかオカシイと感じたり、静物画を描いているのに花瓶が、どうも変なカタチになってしまうなど、思い当たるフシはあることだろう。

   そんな時、いくら見詰めても、原因が分からないことがあると思う。
カタチがとれないのには、必ず原因がある。この場合のカタチは、間違いなく内側のカタチであろう。
   見詰めるとは、内側のカタチを見詰めているのである。

さて、初心者で、裸婦クロッキーを描く人は少ないと思うが、体のラインは、外側を見るほうが、描きやすい。
   石膏像のデッサンでも同じことが言える。

なぜか、内側より外側を把握するほうが、描きやすいことは、少なくない。
   そこで、当分外側を見るクセを付けよう。外側、外側と思って日々を過ごしてほしい。

   電車の中でも、仕事場でも、家の中でも外側、外側と自分に言い聞かせて、やってみれば、必ずいつもと違う感覚を発見すると思う。やってみて損はない。

   ぜひ、お試しを。