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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<アート一口講義28>2012・6・5(火) |

通信講座デッサン見本
「絵は誰でも描けるか?」
よく聞く話であるが、生徒さんで、絵が上手く描けないのは、自分に才能がないからと言う人がいる。 しかし、一般的に言うと、絵を描くために、才能は必要ない。 才能とは、新しいスタイルを生み出す能力を指すので、プロの世界の話であり、一般レベルでは、好きか嫌いか、器用か不器用かが、問題になるだろう。 器用、不器用は、生まれつきなので、器用に越したことはないが、しかし、絵の世界では、不器用も個性という言い方も、またあるため、話がややっこしい。 また、絵は、基本的には技術系ではなく、感覚系なので、技術のあるなしが、絵の評価には、直接、結びつかない。 才能がなくても良く、器用でも不器用でも良く、技術は、問われない。 つまり、絵は誰でも描けることになる。 絵によって自分の夢を語るなら、絵の王道もそこにある。 そう考えよう。 <教室日記> 庭のアサガオの種が芽を出した。 毎年、この時期、アサガオの成長を楽しみにしている。 夏に向かってドンドン育ってほしい。 夏にアサガオが咲いているのは、何となくいい。 夏らしい気分になる。 花火とアサガオは夏の花。 と思っていたが、わが家のアサガオは、なぜか、全盛期が秋に来る。 あまりにも暑い8月は、しおれていることが多く、涼しくなると活発に咲く。 一度、10月の末まで咲いていたことがあった。 10月に咲いていると、「もう、夏は終わったぞ」と言いたくなる。 ちなみに、アサガオは秋の季語だそうな。
まだ6月なので、アサガオが咲くには間がある。 今は、アジサイ。 アジサイも植えている。 この花がお気に入りの二番目。 結構、日本人している。
昨年、地震の影響から中止となった江戸川花火大会は、今年はやることに決まったようだ。 毎年8月の第一週目に開催するので、今年は8月4日の土曜日。 この日に合わせて、わが教室でも、アート21納涼祭を企画する。 教室の西側窓から、江戸川の花火が良く見える。 納涼祭は、子供教室と大人教室の唯一の合同イベントなので、賑やかこの上なし。
花火が上がる午後7時15分まで、絵に因んだ景品を出すビンゴゲームや、宝くじを景品とする大ジャンケン大会をやる。 ジャンケン大会は、私と全員がジャンケンをして、勝ち残ると宝くじをゲットできる。 生徒さんに宝くじ屋さんがいて、毎年寄付してくれるのを、2枚、3枚に小分けする。 宝くじなので、皆、結構、真剣なのが面白い。 負けた人のため息が、アチラコチラで聞こえる。
ビールを飲む脇で、子供がチョロチョロする。
「先生! 顔真っ赤!」
やはり夏は、赤がよく似合う。 花火もアサガオも私の顔も。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
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<アート一口講義26>2012・5・15 |

通信講座水彩画見本
「自然光の大切さ」
絵を描く場合の光には、基本がある。 太陽光が基本。 蛍光灯でも絵は描けると思っている人が、意外と多いが、これを機会に考えを改めよう。 古来より、光の基本は、太陽光(自然光)である。 光源を自然光にしか、求められなかった事情はあるが、自然光に近い光源を得ることができる現代でも、太陽光を基本とする考え方に変わりはない。 自然光に近い光源というだけで、完全ではない。 自然光を基本とする考え方は、時代が変わっても常に同じ条件で絵を見れるからに他ならない。 昔も今も変わらない共通の光源は、自然光になる。 したがって、止むを得ず蛍光灯に光源を求める場合は、必ず、絵の確認は自然光の元で確認すること。 これは、制作の鉄則だと思ってもらいたい。 絵には微妙な濃淡もあるが、微妙なニュアンスもある。 これらを嗅ぎ取るのは、自然光の元でないと、不可能。 <教室日記>
ある日、教室に妖艶な女の人がやって来た。 油彩の「お試し」を希望している。 前日に電話があったが、日本人ではないらしく、少しかすれた声は、火曜のキッズコースに来ているY君のお母様の声によく似ている。 Y君のお母様は、中国の方で、達者な日本語であるが、やはり、何となく日本人のそれとは、ちょっと違う。 電話で話していると自然に、そのお母様の顔をイメージする。 次の日に教室に現れたその方を見てビックリ。 全くタイプが違っていた。 全身黒ずくめで、ミニスカート。 お年は、30才は超えているかもしれない。 一目でご商売が分かる感じである。 お水関係。 徹底的に化粧し尽した体から、エも言えぬ妖しげな香りが漂う。 ご挨拶と言って、箱入りのイチゴを差し出したのには、二度ビックリ。 結局、この方は、一回のお試しで、絵に向かないと言って、二回目は、来なかったので、判断の早さに三度ビックリであるが、ひょっとして、四度目のビックリもあったかもしれない。 それは、性別である。 もしかして、と思ったが、確かめる術は、もはやない。
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<アート一口講義25>2012・5・8 |

通信講座デッサン見本
「人の絵を見よ」
絵を描くということは、同時に「絵を見る目」を鍛えないと上達は望めない。 上手く描けたとか、描けなかったとか、基準になるのは、自分自身の「絵を見る目」である。 他の人の絵、例えば、美術館で開催している有名な人の絵や、街の画廊で見かける絵など、その気になれば、他の人の絵を見る機会は、少なくない。 では、他の人の絵を見ると、どう変わるのか? まず、自分の好き嫌いがハッキリしてくる。 絵を描き始めた方は、他の絵を知らないため、自分自身の絵の好みも漠然としている。 それが、色々な絵を見ていく内に、自分の好みが、分かってくる。 そして、比較することによって、目も肥えてくる。 これよりは、あれのほうが、良く描けているとか、好き勝手な批評は、人に吹聴しなければ、問題ない。 まず、人の絵を見よ。 それが、順番。 <教室日記> 今まで、自分の制作で色々な描き方を試してきた。 支持体も洋紙・和紙・麻紙の紙類、キャンバス、板などを使用したが、今は、和紙と麻紙が多い。 絵具も水彩絵具、ガッシュ、インク、油絵具、アクリル、パステル、クレパス、鉛筆など。 その他、道具については、刺しペンが結構得意であり、Gペン一辺倒。 以前は、雑誌のカットで相当使ったが、今は全く使わない。 思い出してみると、10代の頃から、様々な絵を描き、色々なことをしてきた。 得るものがあったかは、分からないが、少なくとも今の教室では、その経験が生かされていることは、確か。 何が役立つのか、ホント分からないものだ。 10代の頃に描きたかった絵は、今はたいてい描ける。 では、満足かと言うと、トンでもない。 描けるものには、興味は湧かない。 描けないから描きたがるものである。 私の現実は、常に今描いている絵を何とかすること。 それだけ。 今、相当厄介な絵を描いている。 ほとんど、手に負えないが、何とか打破したいと、それだけを願っている。 ハタから見ると、目の前にニンジンをぶら下げた馬が、ただ、走っているだけかもしれない。
テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
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<アート一口講義26>2012・5・1 |

通信講座パステル画見本
「スケッチせよ」
スケッチは、絵を描く上で欠かせない勉強の一つだが、なぜか、絵を習っている人もスケッチはしたがらない。 外で描くのは、恥ずかしいのは分かる。 しかし、家の中でもしないのはなぜだろうと思う。 絵を描くことがアウトプットなら、アウトプットばかりでは底は尽きる。 出したら、その分補充しないとならない。 アウトプットしたらインプットが必要である。 では、何をインプットするか? その一つがスケッチである。 食べ物に例えると、スケッチの栄養価は非常に高い。 だから、スケッチを多く描く人は、間違いなく上手くなる。 その栄養価は、瞬時にものを把握する描写力の向上、対応力の向上、リアリテイーの補充など重要な栄養素が詰まっている。 スケッチは、実は、デッサンとワンセットであるのだが、一般的には知られていない。 デッサンだけでは、絵は描けないと覚えよう。 <教室日記>
口ヒゲを生やせば、アーテイスト。 何でもそうだが、その仕事を長く続けていると、その仕事なりが、滲み出てくるのか、ハタから見て、何の職業が分かりやすくなってくるようだ。 実際、外見と職業が一致しているのが、望ましい。 第一、時間の節約になる。 例えば、絵画教室の見学者を応対した人が、ねじり鉢巻にゴム長靴、ダボシャツに腹巻をしたオチャンでは、不味かろう。 それが先生では、腰を抜かす。 しかし、世の中には、案外そんな感じの御仁もいる。 ヨレヨレシャツに、ヨレヨレズボン。 サンダル履きで、頭真っ白ボサボサ。 いつも紙袋ぶら下げ、手にはタバコで、灰落ちそう、体を揺すりながら、善人丸出しの笑顔をしたオジ様を知っていた。 この方は、大学教授。 東京大学の数学科の先生で、若い頃は、「天才」と謳われた人。 こういう方の職業を当てるのには、時間が掛かる。
テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
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